今日から繋げる古代風景

日々の出来事を無理やり歴史に紐付ける人

引用の歴史 ~SNSから孔子まで~

引用の時代。

 

SNSインフルエンサーや、ファスト映画の逮捕事件を見ながらそんな言葉が思いついた。

 

 

冒頭

例えば海外からのコロナやウクライナの情報。

多くの情報が飛び交う中、現場で得た一次情報が、世界中で注目される。次に翻訳を載せた情報者や知識の補足者に目が行き、その翻訳を更に自己のTLにまとめたものが更に注目されている。メディアは情報精査し、朝刊やニュース番組でそれらをまとめるが、Twitter大国の日本ではそれより早くバズった呟きやニュースサイトの見出しが拡散される。そして、その流行りの話題に食いつく評論家(のような垢)。この川下りのような流れを毎日見ているけれど、情報自体は枝分かれの末に減っているのに、食いつく人は枝先の方が多かったりする。

現代はSNSの時代。その多くは利益を生み出しながらも基本無料で、故に引用しなくても良いとされるグレーゾーンがある。あるいは、リプライ機能は引用だけれど、リプライ元をURL含めて読んでいないので齟齬ができているものもある(無意識であっても意図の改ざんとなる)。けれど人は話題に乗っかる以上、引用はこれからも増えるし、話題になればなるほど、リプライ、リツイートされていく。

 

あるいは、この2022年数カ月、裁判所では引用か無断転載かで争われ、絵描きのトレパクに追従してトレースやオマージュの認識違いや知識不足で炎上する様子を見てきた。

これは著作権の発達した現代だからこそ起こる問題なのか。古代人が他者の言葉をまねて作られた名作の手法は、現代では許されなくなったものもある。また入賞した自由作文の参考文献ミス、パクリゲー、捕虜の顔を載せたサイトはジュネーブ条約違反かなど、引用者の価値観や文化のずれたことで、正しく引用されてない引用もまた常に流行りの話題に加わっている。

 

そこで今回は引用の歴史について、ぱっと思いつくものをあげてみた。

ただ、究極的には「この世に他者の影響を受けていない人間はいない」との極論で、全てが誰かの引用とみなす人もいる。(だがこれでは、引用について何も語れなくなるため、今回はざっくりと「引用とは、言葉や情報を編纂なく、自分の益のために用いること」くらいにしてほしい)。

 

そもそも、引用の起源は何か。

 

引用とは、日本の学問にいえば、主従関係 、出所明示、明瞭区別性が明確にして他者の文章などを使用することである。日常会話や多言語圏では意味が多少変わるだろうが、現代の大元の意味はこれなはず。

引用を著作権の問題として見るならば、現在国際的にそれを定めてるのは1886年に作られ現在まで改正されているベルヌ条約(Convention de Berne pour la protection des œuvres littéraires et artistiques)だろう。これは主に文学と美術作品に関するものなので、他にもいくつかの条約により我々の知る著作権は世界的に補償されている。

その著作権の概念は16世紀頃の西洋ぼ法律にも見られているが、大きな起源は18世紀のイギリスのアン女王法だともされる。これは書物のみの著作権だったが、80年後のフランスでより範囲の広がった法律も生まれた(同時に海賊行為との戦いも国際的に増すことになる)。

ではそれ以前に引用はなかったかというと、規制こそないものの引用に近いものは存在した。「○○によれば〜」というのは、自身の説明の補強だけでなく、様々な表現効果をもたらす。

同時に無断転載も引用とは切っては切れぬ関係なので、今回は2つまとめて並べてみたい。

 

①文学作品としての引用

世界最初の引用が何かは分からないが、古代から現代まで有名なものは紀元前5,6世紀の人物である孔子論語、遅くともBC400年ごろ製作されたというユダヤ人の聖書の文言だろう。

また、拝借という意味では古代ギリシアから世界の近代文学にも、構想の元ネタから丸被りまで幅広い層の作品が点在する。現代だって、小説の冒頭に誰かの名言を置く習慣がある。

分かりやすい例は、実物の失われた古代ギリシア文学などのうち、一部が他者の引用によってその存在や内容が確認できているということだろう。

また、プラトンが師匠ソクラテスとの対話を記したとされる「ソクラテスの弁明」も、もし彼の発言をそのまま記した箇所があるとすれば、引用だ。とすると、実際の人物と対話したものをまとめたという、ジャンルで言えば対話篇(ダイアローグ)という形のものにも多く引用が含まれてるといえる。

 

②絵画としての引用

絵画にしろ、同じ構造を借りているというのは絵画の歴史を知っていればよくあることと感じるだろう。そしてそれは時に際立って問題視される。

例えば狩野派が「粉本」とされる模範の絵を上手く写す技術により、発展しながらも同時に批判もされた。

西洋だと「美術史初の著作権裁判」こと1505年のデューラーの絵とマルカント二オの銅板模刻がある。

 

③音楽としての引用

音楽としての他者の曲を取り込んでいるのは、西洋古典と言われるものでも数多い。その場合、「編曲」というような言葉が使われることもある。つまり〇〇をアレンジした曲と、元の曲を示しているので引用の一つとも言えなくもない。一方で元の記述のない引用として有名なものは、ミシェル・コレットの「主をたたえよ」にヴィバルディの「春」が混じっている話など。また引用でないが、自分の曲を有名作曲者のものと偽る(偽作)も昔からあり、盗んだ作曲者か別の作曲家に偽られたりと、後世の研究対象となっている。

一方で録音技術によって、楽譜のみから「音」そのものを他者が使える時代となった。用語でいえばサンプリング。ヒップホップだと、1969年のザ・ウィンストンズの「Amen,Brother」から生まれたアーメン・ブレイクは世界一サンプリングされた曲と言われている。

 

現代だと、引用された曲といえば「カバー曲」「アレンジ曲」が分かりやすい。また、引用元を隠すというオマージュの概念も普及したから、曲の一部にファンなら分かる要素が入り込むこともある。あるバンドの記念ソングに人気曲の一部が入っていたり、歌手の追悼歌とかで目にする。音楽では構造上、引用元を記すことはタイトル以外ではできない(残りはホームページやカバー裏の補足説明となる)が、一方でファンが聴いただけであの曲や言葉を引用しているのだと分かれば、それは許容される。

また、平原綾香の「ジュピター」などが、著作権切れの楽曲なので引用元を示す必要はないものの、ベースはホルストの同名曲であると分かるから引用の一つといえそう。

一方で事件としては、ワン・レイニー・ナイト・イン・トーキョー事件が日本最初の編曲侵害例としてあがる。ほかにも、似た雰囲気の曲、同じコードやメロディーの曲はパクリと話題になるのは、知っての通り。オレンジレンジロコローションが、オリジナル曲からカバー曲と説明変更されたのも、引用問題の一つととれる。

 

④根拠としての引用

「〇〇にはXXとあるから、これを前提とする」みたいなもの、現代の意味に一番則する使い方の引用は、近代以降の科学の成り立ちにかかせない。研究の成果を発表し、それ元に新たな研究をするというサイクルは、どんな論文であれ最後の引用、参考文献をみれば明らかだ。

ただし科学は発見者に名誉が与えられるという構造となった結果、引用の反義語ともいえるべき、盗用問題の歴史も重なっている。

有名どころだと、ニュートン万有引力の法則が発表された「プリンキピア」に対するロバート・フックの剽窃問題、ワトソンとクリックのノーベル賞のきっかけとなったDNAの二重らせん構造に対するロザリンド・フランクリンなどの疑惑があったことは、この先も永遠に歴史にのこるだろう。ただ、ここを突き詰めると、論文発表の順番や認知度、また引用よりは科学の不正疑惑の方へ話がシフトしてしまい書ききれないので、一旦やめておく。

 

逆に科学でなくとも、自身の主張を通すには引用が欠かせない。「証言によれば」「法律の文言によれば」「聖典によれば」「子、いはく」というものは、きりがない。逆に、それが間違っていることを説明することにも引用は使われる、

Twitterのリプライ機能もまた、引用の一つだろう。

 

感想

と、長々と書いてみた。

考えをまとめているわけではなく、一気に書いたので、あとで編集するかもしれない。

または、根拠を示すために引用するかも。

 

ともかく、歴史としていくつかを並べてみたが、過去と比較して現代の引用はどうなのか。ネットでコピペしやすくなったから急速に増えたという意見はウィキにあった。著作権が発達していない時代と比べても、解釈が違うので意味がないという考えもあるだろう。

じゃあネットリテラシーを持って引用する際は気をつけましょう、だとあくまで主観的な自戒のみで、実際に自分が引用していることに気づかないケースもある。更に無断転載だと指摘されたとたん、無知が罪となる。

また、引用は論文であれば形式があり、査読もある。一方で、ネットの場合必ずしも決まりがないため、学術論文であればアウトだが、利用者には許容されているグレーなゾーンも存在する。またネット収益の導入により、無断転載でなく引用であることを明確に示さなくてはならない機会が増えてきた。

 

改めて、人の言葉や作品を借りるとは何かを、考え直す岐路なのではないか。

 

(蛇足:というか、ネットで偉人の名言と出回ってる言葉、調べてもどこが出典か分からなくて容易に使えないんだけど……外人の言葉なのに日本語訳だけ載せてるやつも、それで引用した気にならないでほしい……)