今日から繋げる古代風景

日々の出来事を無理やり歴史に紐付ける人

アイドルは盆踊りで鎮められるか〜神楽を舞う者が神となる〜

(注:この記事は推敲とかない怪文書なので、妥当性とかはないです)

 

 

盆踊りのニュース

2023年夏、神田神社のアニソン盆踊りがコロナ渦から復活し、盆踊りでYOASOBIの「アイドル」が踊られた。(リンクは動画)。

神田明神推しの子ともコラボしているし、アキバと神田神社サブカルで結びつくのは面白い。

一方でアイドル漫画とジャニーズ改革を絡めて論じられるように、アイドルの不祥事は芸能を揺るがし、万のファンを不幸に叩き落とす。アイドルって怖いなあと考えさせられるここ最近である。

 

「アイドル」で踊る意味

同時に日本の芸能史について考え直すと、これは不思議な感覚もある。

大抵の本などには、折口信夫などの著作を通じて、芸能とはまず神事や農耕の成功を願う儀式であったと書いてある。盆踊りもまた(実際には念仏踊りからの変遷もあるが)、大正時代に全国の農村で普及すると、先祖や精霊を鎮めるための踊りなどと言うようになった。これは神社が主催なこともあり、神へ捧げる宗教行事という認識は確かにある。

 

一方でアイドルという曲は、アイドルという夢を見せるために現実で苦悩する職業、またはアイドルを過剰に神聖視する思想を皮肉っている。(動画) アイドルは「偶像」、イコンなどと語源的に結びつく。今回はこの2つ、つまり

・神へ奉る踊り

偶像崇拝の皮肉

の両方が混ざる盆踊りでもあった。そんなこと考えるより、普通に踊ったほうが楽しいだろうけど。

 

というわけで、アイドルを宗教と考えた場合、この宗教はメディアと共にどう発展したかを考える。でも考え出すとキリがないので、とりあえず一つの取っ掛かりとして、ファンの人数から考えてみる。

 

話が上手くまとまらないというか、半ばツラツラと自論書いてるだけなので、とても読みにくいです。

 

 

芸能人のファン人数

TVの中で4人組バンドが日々歌を歌い、全国の視聴者を釘付けにする。

10人前後のダンスグループに、48人のアイドルグループもいる。

その中でより多くのファンを持ち、曲がヒットし、大劇場で歌ったりドラマの主役を持てるものがアイドルの成長として理解される。つまりアイドルは競争者なのだ。そして輝けるアイドルもいれば、その下には不遇な存在もピラミッド形式で大量にいる、と言う認識もある。

 

だが、信者(ファン)の数で見た場合、本当にアイドルは多くのファンを獲得すべきなのだろうか。

 

例えば、100人いるアイドルグループが1時間音楽番組に出演したとしよう。多い、とは思う。
だが視聴数100万人の人数に対して、100人で割った場合はどうだろうか。1人あたり1万人の視聴者を担当し、魅了しているとなると、大道芸人などと比べ、直感として多すぎではないかも……? と思う。
逆にスタッフ含め10人で作ったシンガーソングライターの番組が100万再生いった場合、人単位では1人10万人を相手にしてるわけで、殊更すごい。

 

ソシャゲでは100人以上のキャラが登場するのも当たり前だが、初心者はキャラの名前を覚えきれない。歴史の人物も然り。同じ感覚で、アイドルが多すぎて区別つかない人も少なくないだろう。しかしそのキャラ1人が稼ぐ収入は一般人のより高く、歴史の人物に業績もまた人より際立っている。

 

何が言いたいかというと、アイドルそれ自体の信望者は、過去と比べて大量に獲得されているのが現代ということだ。

 

人数から分類するアイドルの種類

かつて歌や踊りの上手い旅芸人や琵琶法師は、この世界に多くいた。だが、彼らが相手取るのは一度に精々数十人、多くても数千人を超えることはなかった。それは人口だったり、声を遠くまで届ける装置や踊りを見せる劇場が少なかったこともある。
またこの中で発展した芸能はいつしか高尚さを獲得し、能に代表されるように、大名など一部の人間に披露するものが生まれたということもある。

それが歌舞伎などの大衆娯楽が出来上がることで敷居を下げたりもする一方、大衆を対象とした芸人自体は全国に存在し、その場にいる100人を魅了していた。

 

これと同じことが、アイドルにも起こっている。

メディアで活躍するアイドルと、メディア以外で活躍するアイドルだ。後者はWikipediaでライブアイドルという項目となり、別名として、地下アイドルインディーズアイドルプレアイドルリアル系アイドルなどが挙げられている。多くの人はライブアイドルがメディアアイドルに成り上がるものと思っているし、逆にプライドがあるから人気があってもライブアイドルに残っているグループもあると解釈する。

 

(でも1990年代のアイドルブームによってアイドル過多が起きた結果、メディアから溢れたによってできたのがライブアイドルだという説明もされている。けれど芸能自体は自然発生するものとして今回はあえてメディアアイドル→ライブアイドルという順序の話を避ける)

 

この流れを、宗教と重ねて論じられることもある。つまり身近にいた指導者が信者を増やすことで気づけば遥か高み、手の届かぬ存在となった……などは、例を挙げずともよくある理屈だ。

 

一方でライブアイドルと、近代以前の旅芸人では何が違うだろうか。

 

近代の宗教、旅芸人との違い

ライブアイドルと近世までの旅芸人の違いは

・メディアの発展による遠隔性の獲得、土着性の喪失

・メディアアイドルと比較され続けること

 

古代であれば、一つの巨大な日本神話体系ないし土着の宗教によりそうことで、成立していた。よって、他所の祭りが賑わおうと、地元の小規模な祭りは、それはそれとして存在し続け、神は祀られ続けたのである。

 

一方でアイドルは、例えインターネットアイドルであろうと、ランキングや売上の数字からの比較が逃れられない。アイドルの登場する場所に、何かと比較する商売的な数字が存在しないことはない。

(土着性の獲得を利用するローカルアイドルも勿論存在する。が、やはり全国的なファンの獲得を目的に組み込んでいる)

 

 

「君だけのアイドル」と言いながら、君だけでは成り立たないのが現代アイドルなのである。

 

そんな中、メディアを捨て、武道館を捨てたライブアイドルがいれば、そのアイドル性は中世の旅芸人、更には限定された神事へ回帰し、芸能の限定となる限られた場で行う舞や歌となるのだろう。だがそれでも、神楽には戻らない。アイドルが歌を捧げるのは己自身とファンである。神に捧げるのではなく、己の神格化のためにアイドルは笑顔を振り撒くのである。

 

対して盆踊りは、神を鎮めるためにファンが踊る儀式。盛り上げながら、同時に踊りを捧げて悪霊とならぬよう鎮めるのである。

 

終わり

結局、アイドルは盆踊りで鎮められるのかと言ったら、分からない。

けれど例えばある作品がプロジェクト終了後も周年イベントをするのは、昔から好きだったファンの心を鎮めるためだし、神が鎮まるかより神を信じるファンの心を鎮めることが実際のところ大事だ。

 

なので、盆踊りをすることは良い試みだと思いました。(いい締め括り)