今日から繋げる古代風景

日々の出来事を無理やり歴史に紐付ける人

ラビットホールから考える「界隈曲」や「無色透明祭」からみるバズらないというの流行~教会音楽を引き合いに~

 

ラビットホールの二次PVと転載

 

 

 

 かつてブログで紹介した「ラビットホール」の二次PV(Pure Pure)が流行っている。

(紹介したといっても、このサイトのアクセス数考えると再生数に何一つ貢献などしていないのだけれど)とても嬉しい。

centrifugal-landscape.hatenablog.com

 

 と、同時に三次創作用の素材も出されたことで、色んなキャラが手錠ダンスを踊ってる姿を見る。かわいい。

 

 一方で、Youtubeで「ラビットホール」と検索してみるとどうなるか。

 目につくのはPure Pureの韓国語や英語字幕の動画、または長尺や(ショート動画に対して)画面比率を変更した動画が投稿より先に上がってくる。悪質な転載と言わざるを得ないものあるし、再生回数もこちらのほうが多かったりするPure Pureの作者も改めて3月29日に改めてガイドラインを設定した。

 

channelcast.fanbox.cc

 

 ネットでほぼそのまま転載されたものが再生数を稼ぐことはよくみる現象だが、世界規模で流行っているというニュースが報道されながら、大手サイトで堂々と無断転載が乗っているのは、ネットは世界に開かれているからといって正義の場ではないということを考えさせる。

 

 更に、Pure PureはそのセクシーさからYoutube運営に規制され、全年齢版を上げ直したり、それもまた色々あったりという話もある。もはや誰がなんのために規制をしているか分からないなどと皮肉ることもできるし、むしろネットとは何かを考察する良い実例だったりもする。

 

 それでも、ミュージシャンがSNSで作品をPRしたり盛んにコメントを残すのは、バズる力の凄さを知っているからだろう。それはプロだけでなく、無名のアマチュアがきっかけ1つで世間に評価される舞台へ登りあがる面白さもある。

 

 

 と、前振りが長くなったけど、本題へ行きたい。

 

 

拡散性を排する「界隈曲たち」

ざっくり説明

 SNSやメディアへ積極的で繰り返される曲たちが、POPのメインストリートなのだとしたら、界隈曲の在り方は通常のチャート曲たちとは真逆だ

 

 界隈曲とはなんなのか。

 曲だけをみると、主にボカロないしネット音楽の一ジャンルで、エレクトリカルでリズミカルな曲調に洒落怖やフリーのホラゲーみたく、どこか不気味さのある独特な文学調の歌詞を特徴とする……みたいな説明になる。

 

 しかしこのジャンルの独自性は、その排他性にある

 即ち、拡散性をあえて避けるべく、作者の名前や動画のタイトル、説明文をそぎ落とというスタイルにある。名前が空白なこともあり、余程伸びて二次創作も盛んな楽曲でもないと、偶然サジェストで目にすることすらない。

 

 詳細は私よりも、よく聞いてる方の説明のほうがわかりやすいだろう。

 

note.com

 

 また、界隈曲のことは知らなかったけれど、どこか薄暗いボカロ曲を聴いていたら、実はこの系譜にあったというのも存在はするだろう。匿名性はないけれど、青栗鼠の「ロータスイーター」Azariの「shadow shadow」などは例にあげやすい。

 

 洋楽の「bad guy」やCreepy Nutsの「bling-bang-bang-born 」など、ダウナー系で不穏さを孕むコードは日本より海外で流行っているそうで、実際界隈曲のコメントも日本語以外のものが多い。

 

 拡散しないことを強いる文化

 この界隈曲がなぜ拡散や作曲者名を伏せるのかは、上記サイトを追えば分かるが、ともかく原点はなんであれ、このジャンルには下手な拡散をしないという根深い信条が刻まれている。

 

 そしてそれは、「そういうジャンルだから、守る」というものから、「守ることで生まれるものが、このジャンルでは重要である」という逆転が起きている。

 「日本で剣術が殺人の技だけでは駄目だから身心を鍛える」といった発展をする中で、「鍛えられた身心こそ剣術が極みに達するために必要だ」という変化に近いといえば、分かりやすいだろうか。

 

 もう少し深堀りしよう。

 

 この引きこもり性は、ネットの匿名性とアングラ性の性質をより際立たせていることで成立している。だが内部でジャンルが、系統を意識ながら作品が生み出され続けている様子は、単にネットの特性だからというには厳かすぎもする。知る人ぞ知る名店、秘密会合のごとくだ。

 

 この隠蔽性はどこから来るのか?

 

 より歴史を振り返り、隠蔽された作品ジャンルの類似例を探して、推測しよう。

 例えば、かつては貴族や神前に披露するのみで一般人がみることのできなった、能といった伝統文化。

 あるいは宮廷画家や音楽家など、貴族のために描かれた、風俗画など生まれる以前の作品。

 そして音楽でいえば、キリスト教の教会音楽があたる。

 

キリスト教の教会音楽との比較

 

 キリスト音楽というものは、神にささげる讃美歌が起源とされる。それは中世のキリスト教ですらそうで、音楽は好き勝手に歌うものでなく、神へ捧げるものとして発展していった。そういった宗教性の中で、特に教会内でのみ歌われる音楽を、用語的には「教会音楽」という。教会で音楽を奏でることで、信者たちは神の信条と自信を一体化する体験を味わえた。

 

 そして教会音楽において、楽曲は神秘であり、不用意に外へ持ちだすべきものではなかった。音楽史に詳しい方には違うと言われるかもだが、ここで歴史を語るとコラム一個分できてしまうので割愛している。西洋音楽史やったら1回目で教わるから、気になる人は解説講座でも見て欲しい。

 

 秘匿性に関するエピソードといえば、幼少期に父親へ演奏旅行をさせられていたモーツァルトが、持ち出し厳禁な教会の曲を一回聞いただけで外で再現して大騒ぎとなった逸話があったりする。

 

 ともかく、キリスト教音楽はその宗教性による秘匿の中で、独自の発展を遂げた。一方で教会音楽ないし宗教音楽と比較されるのが、世俗音楽である。

 

 教会音楽は信者のための音楽である。そのため、音楽は厳かで、感動するものが喜ばれる。だから典型的な様式というものが確立されやすかった。

 

 反対に、世俗音楽はより流動的だ。流行や他文化の要素を取り入れ、アンチ教会ともいうべきだろうか、誤解を恐れずにいえば「軽薄性」が大きな特徴だった。耳に残りやすいモノ、刺激的なもの、サブカルとして消費しやすいものなど……、そういった中で、今でこそ古典といわれるが「オペラ」といったものが誕生していく。

 

 界隈曲もまた、この教会音楽の体をなしていると、私は思う。即ち、拡散性を捨てることで内部の様式を維持し、このジャンルが好きな人々を守っている。そこから生まれる「厳かさ」の喜びを、彼らは獲得しているのだ。とも言える。

 

無色透明祭は秘匿かチャンスか

 

ネットの匿名性を活かしたボカロ音楽活動で、抜くことができないのは「無色透明祭」だろう。

名前を伏せられ、動画内も白背景にシンプルなフォントの文字しか入れられないという、徹底的に伏せられたこのコンテストは2022年から開催された。

 

site.nicovideo.jp

originalnews.nico

 

視聴者は話題性や知名度関係なく純粋に「音楽」を楽しめ、いままで聴いてこなかったアーティストやジャンルに出会える機会となりました。
 また、ボカロPにとっても、無名でもたくさんの視聴者に聴いてもらえるチャンスになったのではないでしょうか?

 

ニコニコで行われたこの企画は、応募作が一回目の段階で数千を超えていた。自主的に曲を聴くまでどんな曲調なのかすら予測できない。

 

一方で、曲調からこれがあの有名Pのものだと考察されると、一気に再生数が伸びたりもした。これは、企画の目的から外れている例外でもあるようで、逆に有名Pであっても、匿名とされている以上大きくバズりすぎることはない。そしてもしバズっていたら その曲を聴いていたであろう時間を、視聴者は他の匿名の曲に向けることができる。全体として、企画応募作の再生数の分配に成功しているといえる。

 

 この辺は界隈曲とは真逆の目的だ。つまり、ジャンルを守るために拡散されぬよう隠蔽する界隈曲に対して、無職透明祭は、誰もが有名になるチャンスを得るために、有名者すら伏せる匿名性を利用する。

 

 勿論、それは決して無名の作家が劣っているというわけではなく、初投稿にして素晴らしい楽曲も多い。古事記風土記にはよく、「詠み人知らず」の詩が出てくるが、有名でなくとも詩の美しさそれだけで記録に残すべきと評価するのは、何も令和だけではない。

 

 それは、視聴者に流行という名の、「これは素晴らしいと皆が評価している」という事前知識がなくなったことで、一つ一つの出会いにときめくことができる。

 Amazonの製品レビューやグルメ店の星の数は悪品を掴まないために重要かもしれないが、ただ何もコストを支払わず曲を聴く楽しみとして、知らないことを楽しむというジャンルが存在するのだ。

 

 そして令和の企画は、ジャケ買いというかつての冒険すら過去のものにできてしまう。ネットという匿名性のシステムがそれを支えてくれているからだ。

 

 

まとめ

 今回は、あえて中世あたりの歴史の話を参考に、秘匿性について軽く書いたけれど、勿論他の魅力だってあるだろう。

 バズるとは、流行とは何なのかを研究してる方は多いし、界隈曲に詳しい方もいっぱいいるけど、この2つや匿名性を重ね合わせながら語っている人はあまりいないと思ったので、書いてみた。

 

 4月はテト15周年に、ポケミクの続きのほか、プロセカと東方がコラボなど、ネットへ新たな流行への火種が生まれる。

それが日本の小さな界隈を賑わわせるだけなのか、世界中のイヤホンから流れるのかは分からない。

 

けれど、流行るかどうかはさておいて、自分の耳でまずは聞いて、目で映像を味わって、そうして自分自身の感想を持てるようにしておきたいなと、ちょっとふんわりとした感じの言葉で締めることにした。

 

参考文献やサイトなどは、後日追加予定です。

 

 

「おまけ」

テトの周年企画で色んな新曲やアレンジが上がってて楽しいここ最近。このメドレーPVが最近のお気に入り。

 

https://x.com/karimei_0415/status/1774452801340690701https://x.com/karimei_0415/status/1774452801340690701

 

Fate/Samurai Remunant を遊びながら慶安4年の歴史散策

 

 

 少し時間ができたので、前々から買っていたFate/Samurai Remunant をプレイする。

 アクション苦手な癖に高難易度でまずはプレイしてしまうから、2,3日かかってボス戦を一つ突破したりしつつ、50時間かけて一周目が終わった。

 

 プレイ日記や実況は人気配信者やもっとコアなファンに任せるとして、私の方はTwitterでも上げているプレイ中のスクショと歴史メモを随時載せておく。

 ブログのほうが文字数とか気にせず記録できるので、ちょっと文字数増える。

二周目プレイしつつ、あとでまとめて更新するので、偶に見直してたら情報増えてるかもしれない。ネタバレも避けてるから、ストーリー関連は後日。

 

 

朝顔

 

 江戸時代の朝顔ブームを取り扱った作品は多い。

 あと少し違うけれど、私が思い浮かんだのは、「しゃばけ」シリーズの話。病弱な若旦那と彼を慕う妖怪たちで不思議な謎を追う話で、父親が珍しい花を咲かせたから始まる話があった。

 

 民俗学的にも朝顔は注目されるらしく、柳田国男が「明治大正史」で語っていたのを思い出す。朝顔は他の花に比べて交配で様々な色を出せることから、江戸末期から明治初期まで、見たことない色の花を咲かせようと流行ったとある。また、それは、西洋の文化を受けて変わりつつあった日本の色彩文化を盛り立てたとする。

 

人魚の木乃伊

 

 

 人魚の木乃伊は江戸時代の見世物小屋を語る上で外せない。

 街中にあるスターバックスのロゴは、サイレン(セイレーン)由来なので実質人魚みたいなものだけど、あんな感じで常識的な胡散臭いものとして存在していた。

スターバックス(スタバ)の由来や歴史、ロゴ(マーク)の意味とは? | 歴史・由来・意味の雑学



 ただし我々が思う人魚は、ディズニーのマーメイドみたいなもので、上半身が美女である。これはギリシャ神話のセイレーンなど、航海する男たちを誘惑し海に引きずり落とした神話などの系譜がある。引きずり落とすの失敗すると、逆にセイレーンのほうが呪われて岩になるなどという話もあるので、不憫だけど。

一方で日本での人魚は「上半身が猿のようで~」と比喩されるように、奇怪なものとしてのほうが多い。現存する人魚の木乃伊(江戸の職人が作ったもの)の写真もそんな感じだ。

https://blog.miraikan.jst.go.jp/articles/20200908post-364.html

サムレムで言えばギリシャ神話の魔女キルケ―が登場する。彼女はアイアイエー島に住む海の魔女。「オデュッセイア」で、旅をするオデュッセウスに「セイレーンの歌を聞くと魔術で魅了されるの聞くな」と忠告した。しかしオデュッセウスは忠告通り耳栓をする船員たちに、自分は歌を聞いてみたいから、魔力に操られて飛び降りないよう、船の柱に縛り付けて貰い歌を聞いたという話がある。

 

なんで江戸にゆかりのないキルケ―がいるの? となれば、江戸はセイレーンの木乃伊で溢れているし、川が多いから水の縁もあるからと答えられる。怪物(スキュラ)の住む大岩について忠告したのも、彼女と出会う地名に関係すると深読みもできる。

 

話が逸れたので戻すと、日本で見られる人魚の話は、大きく二つある。

 

一つは、食べると不老不死になる話。有名な八尾比丘尼飛鳥時代)や常陸海尊源義経の部下)が食して不老不死となったという話

 

もう一つは、見かけると吉兆または凶兆の兆しとなる話。海で見かけたり、浜辺に妙な海の生き物として打ちあがると、大事件が起きる。アマビエやクダンという予言する妖怪がいるけれど、扱いはそれに近い。大地震の前に魚が取らなくなったり、普段取れなくなったりするという漁師の体験談とも関連してそうではある。

 

吉か凶かは時代で入れ替わり、例えば「鎌倉殿の13人」では度々内乱があったけど、鎌倉という海に近い立地のせいもあり、度々海で人魚のようなものを見かけてから和田義盛の反乱などがあったという話が残ってる。

ジブリの「崖の上のポニョ」も、広義的にはその影響を受けている。浜で人魚のようなものと出会ったことで大事件が起きるのは、日本でいう人魚の話の流れを組んでいる。

 

因みに人魚を食べると不老不死になるということで、人魚の骨を食してみたのが平田篤胤国学者)。仲間と共に水に入れて飲んだり。家族に送って長寿を願った話がある。

 

大ニセモノ博覧会 担当者インタビュー 第5回|これまでの企画展示|企画展示|展示のご案内|国立歴史民俗博物館 (rekihaku.ac.jp)

江戸博士が質問に答える!江戸の人魚と不老長寿の伝説 | 科学コミュニケーターブログ

【見世物】人魚のミイラ「猿の上半身と生鮭を融合した作り物」 - SUBCULTUREAT-「殺人・ゴシップ・科学まで裏情報満載!」

どっこいどっこい

 

参考

伝統ゲーム・どっこいどっこい (asahi-net.or.jp)

【画像あり】江戸時代のおもしろ珍商売をまとめてみた(5) | 江戸ガイド (edo-g.com)

 

富士山

 

昔は江戸から富士山が見えたというのは、各地の坂の名前(富士見坂)に残ってたりするし看板にも書いてあるから、有名だろう。現代でも東京タワーやスカイツリーに上らずとも、高層ビルが消えたら富士山が眺められるらしいけど、あまり想像できない。

 

東京スカイツリー定点観測所 https://tokyoskytree.blog.jp/tag/%E5%AF%8C%E5%A3%AB%E5%B1%B1

 

スカイツリーがあるのは上野付近だけど、現代だと空気が淀んでいるから昔ほど綺麗には見えないというのもあるかもしれない。

富士山縦覧場 - Wikipedia

富士見坂 - Wikipedia

 

自身番小屋

 

作中用語

浪人

 

時代劇でよくみる「浪人」という言葉、漫画なら「るろうに剣心」の流浪人で知った人が多いかな。

浪人を牢人と書くこともあるけど、時代としては牢人のほうが先。

戦国時代に主君をなくして浪人となるケースは多いけど、そんな中でも浪人が大量発生したのは「関ケ原の戦い」「明治維新」の2回が有名。

特に明治維新後は、戦国以前と比べて士族に制約が多すぎて、失業した武士の苦労話が数多くある。今放送しているアニメ「明治撃剣-1874-」の主人公も、旧幕府側の武士であったが、人力車の仕事に転身している。実際明治には失業した武士たちによる人力車ブームが起きていた。また幕府の元官僚は、賊軍となり職にもつけず乞食となる人もいたようだ。かつては五百石を持っていた上司が、街中で乞食をしていたのを見てしまう話などもある。

浪人 (武士) - Japanese Wiki Corpus

 

 

2023年の音声合成周りの記録

AIが発達してきて、ここ数年で情勢変わりそうなので、

現状をなるべく色んなサイトURLと共に記録しておく。

 

音声AIの変化(キャラクター性の不要)

最近、

ネットのサブカルに興味ない人たちのスマホから、ずんだもんを始めとする合成音声による解説が流れてくるようになった。

視聴者は、ずんだもんがどういったキャラ設定なのかを知らない。

声オタ以外が声優を意識せずナレーションを聞くように、動画の一要素として音声合成を聴いているし、利用されている。

 

これは、初音ミクを始めとする、日本の合成音声の文化から見ると驚くことだ。

オタクのネット文化で育った、初音ミクを始めとするVOCALOIDと、実況や解説動画。

 

それ以前の音声合成ソフトと違い、初音ミクは「16歳バーチャルシンガー」というキャラ設定を与えられたことで、たどたどしい声が逆に萌えや個性として生かされ、ヒットしたとよく分析されている。

 

その背景を知っているネット民は、動画を見る際にまず「どの音声ソフトのキャラが」「どの方式で声を出すのか」を意識する。

 

ボカロであれば、使ったキャラの名前が動画タイトルの末尾につく。

ゆっくり解説も、どのキャラが話すのか、またはソフトの声を使ってどんなオリキャラを登場させるのかが、サムネイルの段階で分かる。

 

そうして培われたキャラたちのイメージ像が、ユーザー一人一人の中で膨らみ多様性を持ちながら、いくつかの要素により共通の認識を作り上げる。

そうして最近でも、「ポケミク」や「初音ミクEXPO」のように、様々な種類の初音ミクを生み出し、しかし全ては姿が違っても「初音ミク」であるとして企画進行している。

「プロセカ」は、現在若い世代向けにボカロのメインストリームを生み出す存在にまで成長した。かつてのネットとは空気感が違うものの、ボカコレなどのイベントにより未だネット層の注目を引き続けている。いくつかの曲は、TikTokといったニコニコと異なる場所で大ヒットするようになる。

www.project-voltage.jp

 mikuexpo.com

 

プロジェクトセカイ カラフルステージ! feat. 初音ミク (sega.jp)

 

一方で、近年ではキャラの存在しない音声合成が多くなった。

特徴的なケロケロ声だった発音技術は、もはや「神調教」とタグ付けされるまでもなく当たり前に人間と判別できないほどに自然な声となった。

その恩恵は、既にネットを飛び出している。

 

例えばNHKはニュース番組の一部で音声合成を使っているし、街中の無人精算機やアナウンスにもどこかで聞いたことのある音声合成が利用されている。

しかし、そこには一々キャラ性をアピールされることはない。

 

声優が常に名前を名乗ってからナレーションを始めないように。

MOBキャラはあえて名前も顔もかかず、ゲームの進行を妨げない無個性であることを強いられるように。

 

キャラクター付けによって発達したネット内の音声合成は。

今、時代を逆行するように、あえて無個性であるものが増加するという皮肉がこの2023年の現状だ。

声優は一層アイドル化したというのに、音声合成は数こそ毎年多く増えながら、その個性は大御所を除き、大衆に広まったことで個性が薄くなる場面をみかけやすくなる。

 

これは落ちぶれたのではなく、時代の変遷の中にいるのだろう。

 

AIの使用例のニュース

AI技術の発達で、有名人の合成音声が勝手に作られ悪用されるニュースが増えた。

故人の音声合成によるトラブル(元首相や海外の毒舌コメディアン)も多い。紅白で美空ひばりAIが流れたのは2019年だったが、あの時以上に増えている。

特定の政党支持を芸能人がしているよう見せかけたり、ウクライナ侵攻でも嘘の動画と共に使用されるのを見かける。

ネット内でも、無断に音声モデルが販売される一方、著作権整備も対策も行き届いていない。

 

参考

 

「岸田総理に卑猥な言葉を言わせる悪質フェイク動画」 (Full Ver.) - ニコニコ動画 (nicovideo.jp)

AIが声を失ったラジオ記者の声を復元 放送復帰へ=米 - BBCニュース

ディープフェイク動画の衝撃、AIで作られる「高品質なデマ」 写真4枚 国際ニュース:AFPBB News

VTuberや声優の「AI音声モデル」無断販売への懸念 法的トラブルの恐れも - KAI-YOU.net

 

一方で、好意的なニュースもある。

優秀な音声AIが手ごろに、ときに無料で変えるようになってきた。

CeVIO(ちぇびお)も2021年夏に発売されたが、もはやYoutubeで見ない日はないほど広まった。

ビートルズの新曲をジョン・レノンの合成音声AIを用いて完成させた話もある。

About CeVIO | CeVIO Official Site

ビートルズ最後の新曲「Now and Then」は、こうしてAIの技術を駆使して世に送り出された | WIRED.jp

 

日常生活の中で

昔はSafariやコルタナ程度しかいなかった、身の回りの音声認識AIも

多くの家電に搭載されるようになった。

サブスクの発達で、テレビにサブスク用の機器を設置することも多い。

その場合、リモコンで一々文字入力するのが面倒だからと、音声入力する場面も増えてきた。

 

音声認識AIを見ても、サービスの増加がうかがえる。

音声認識AIカオスマップ2024を初公開!生成AI・ChatGPT連携機能の有無や用途が一目で分かる! | 株式会社アイスマイリーのプレスリリース (prtimes.jp)

 

そういえば、電車やバスの音声は録音が多いけれど

初音ミクとコラボした札幌では、アナウンスが一時期ミクのものとなったという報道が2011年にあった。

今では話題性にせずとも、当たり前のように音声AIが街中のサービスに使われているから、時代を感じる。

 

asahi.com(朝日新聞社):車内アナウンスも初音ミク 札幌市電に「雪ミク電車」 - トラベル

 

終わり

今回は、今年爆発的に流行したchatGPTにあえて触れなかったけれど、これと音声AIを結びつけた話もよく聞く。

とはいえ、変わった後では、変わる前のことを思い出せなくなることが多い。

 

初音ミクがシャルル、千本桜、メルトなどと出会う前。

カラオケやCDショップにいつ「ボカロ」ジャンルが設定されたか。

V3やV4、flowerや花譜、ユキが主流に上り詰めるまでの楽曲は何があったか。

 

だからせめて、今日の彼彼女たちはどこに立っているのかを。

自分の狭い視野でいいから記録を取ることで、いつか振り返るときの目印となればいいなと思った。

 

蛇足

ラビットホールのMV、スキなのが多い。

2020年くらいのダーリンダンスくらいから流行り始めた「ぴえん系ソング」の代表格。地雷系、メンヘラ系の創作増えてきたね。

@_CASTSTATION さんのTwitterでみれる無修正verも良いブラックなHさです。

【MMDモーキャプMV】ラビットホール【モーション配布】 - ニコニコ動画

(nicovideo.jp)

 

Pure Pure (youtube.com)

HIMEHINA【愛包ダンスホール】の奏でるオリエンタリズム~スペインを添えて~

 

今日紹介するのはこちらの新曲。

二週間前に投稿されて既に100万再生されたVtuberのデュオソングだ。

 

【HIMEHINA 愛包ダンスホール

 

www.youtube.com

 

かわいい。

 

特段気に入ったわけではないが3時間ほどリピート再生していると、曲に対する意識も深まってきた。

 

チャイナ服VtuberのデュオがダンスするMVとジョン・レノンがぱいぱいされる歌詞にサイケデリックしていたが、よく考えると奇妙な組み合わせだ。

曲ならだれでもきけるが、その歌詞やMVを一つ一つ理解している人間はどれくらいいるのだろうか。

 

というわけで、この曲の要素を時代によってバラバラにしてみる。

 

 

歌詞と時代

 

紀元前

休戦しようぜ 涙腺が源泉温泉

汗ばんだらガンダーラサンサーラ

なに言ってんだ?(自問自答)

 

ガンダーラと言う言葉が日本で知られるようになったのは、1978-79年の大ヒットドラマ「西遊記」(1978-79)の主題歌だ。

youtu.be

 

ガンダーラとは現在のパキスタン北西部の地方にあった古代王国名。

ガンダーラ王国は、ペルセポリスに残るダレイオス1世の碑文から紀元前6世紀には存在していたとされる。

 

アレクサンドロスギリシア文化(ヘレニズム)をこの地にもたらしたことで、シルクロードの重要な交通路として栄える。

特に1~3世紀には仏教とヘレニズムが融合したガンダーラ美術が生まれた最盛期となるも、11世紀にガズナ朝のスルタンにより征服され、名前とともに衰退した。有名なのは古都バーミヤン

サンサーラサンスクリット語でいう輪廻。

 

西遊記の主題歌としては、ガンダーラを「インドの理想郷」と再定義し、愛を語るオリエンタル調な曲である。

 

中華娘風のキャラにガンダーラを語らせることで出る東洋の神秘感も出てくる。中華レストランのバーミヤンも、東洋と西洋架け橋であった古都バーミヤンのように、人と人を結びつける場所にしたいというのが店名の由来らしい。

人気のファミレスチェーン、あなたが一番好きなお店はどこ?【アンケート】(1/2) | グルメ ねとらぼ調査隊

「バーミヤン」は中華のお店なのに、なぜ名前はアフガニスタンなのか(2/2)|Jタウンネット

 

これは深読みだが、「自問自答」という括弧書きも、輪廻とは何かを自問自答しているという仏教的な二重の意味にかけているとも取れる。

 

 

1920年代:ボレロ

愛包ダンスホール 今日はボレロ

蕩けった少年 甘酸っぱい感情

 

ダンス曲のボレロといえば、スペイン起源またはキューバ起源といわれているダンス音楽「ボレロ」のことだろう。

日本なら「マンボ」というダンス用語が有名だが、これもボレロの流れを組んでいる。

 

www.youtube.com

 

カスタネットを叩き、ギターの成る中で一人ないし二人で踊るダンス。

元々19世紀(1840年代頃)には存在していたが、2拍子のダンスとしてメキシコへ広まり、1950年代にはラテンアメリカの音楽として組み込まれる。

マンボ自体は衰退したが、そこから派生した「ルンバ」「チャチャチャ」「サルサ」など、ダンス音楽の基盤となっている。

 

オワラナイ・ラブコール・ノ・ダンス・デ

 

スペイン語風な表記なのも、ボレロを意識しているからだろう。

 

1970年代:ジョン・レノン、イマジン

 

艶やかな脳内の脳裏のジョンレノンも愛包家

イマジンオールザピーポーの祭典

 

ジョン・レノン(1940-1980)は60年代ヒップホップを代表する世界的バンド、ビートルズのメンバーだ。

歌詞に登場するイマジン(71年発表)は71年に個人として発表したもので、後にオノ・ヨーコとの共作と認めるが、ともかく20世紀を代表する曲のランキングがあれば必ずトップ10にいるような人気曲。

 

イマジン・オールザ・ピーポー(想像してごらん、すべての人々が~)は、曲中で何度も繰り返されるフレーズである。

~の後には

living for today (今日を生きている)

living life in piece(平和の中で生きてる)、

sharing all the world(全世界を共有していると)

とつづく。聞いた方がはやいのでリンクを貼る。

 

www.youtube.com

 

 

1980年代:オエオエオエ

 

ほらオエオエオエオエよ

 

オエオエオエというリフレインは、ポップスでもよく聞くが、源流はメキシコ発祥の「Olé Olé Olé」といった応援メロディから来ている(と思われる)。

 

Olé(オレ) 自体はスペイン語の感嘆詞で、フラメンコや闘牛で聞いたことがあるだろう。

サッカーの応援歌としてスペイン語圏で流行し、1980年代頃にはメキシコワールドカップなどを通じてスペイン語圏以外にも広がり、「オエオエオエ」としてうたわれ始めた。

 

曲としては、1987年にTHE FANSの「Olé, Olé, OléTHE NAME OF THE GAME)」が発売し世界的にヒット。各国でカバー曲され、日本では「WE ARE THE CHAMP ~THE NAME OF THE GAME ~」として発売される。

 

youtu.be

 

1980-90年代 ボディコン

 

ナイトクラブが「サタデーナイトフィーバー」から更に奇抜な方向へ発展する中、高級ブランドのボディコン・ワンレンの派手なドレスが台頭する。

MVのサビで踊られる、ハイヒールと銀のボディコン風ドレスはまさにその時代を再現しているのだろう。

丁度10代のころにジョン・レノンを聞いていた世代でもある。

 

2000~10年代:Wi-Fi

高まった感動の再会 集まった愛情のWi-Fi 持寄った常灯の人提灯

改めて書くまでもないが、現代最先端技術の「Wi-Fi」と江戸時代的な「人提灯」を並べるあたりセンスが光る。

 

Wi-Fiという技術は、1971年にハワイで実験的に利用された(アロハネット)がスタートとされる。

その後、ワイヤレス技術や規格が整うと、2000年代初頭から普及する。

スマホやノートPC、タブレットなどによりインターネット利用率が急激に増え、日本での利用率が8割を超えて落ち着くようになったのが2010年代である。

 

その他:ミートパイ、ミルフィー

話を付けくわえると、既にガンダーラやスペインの話をしたが、歌詞中に「熱いミートパイ」を登場させるのは、アメリカン要素だろう。

と思ったら「ミルフィーユ」を登場させたりと、意図的に歌詞を国際色豊かにしている。ジョン・レノンはイギリス出身、中華系はいわずもがな。

 

 

歌詞から時代を振り返る

今回はジョン・レノンという分かりやすい固有名詞があったから、記事もとっかかりが見つけやすかった。

一方でオノマトペだけで作った歌詞ですら、そのオノマトペの用法をたどれば歴史を感じることができる。

 

こんなことして、なにか意味あるのと言われたら、別にカラオケが歌いやすくなるわけでも、Vtuberへの理解が深まるわけでも、癒されるわけでもない(むしろ疲れる)。

 

だがもう一度再生を押したとき、そこに見えるのはただのネットに浮かんだアイドルソングでない。

蓮の花の水面下のように、時代との繋がりを曲の表現として昇華されていることを理解することで、より深い視点から動画を見れるのではないだろうか。

 

3時間聞き続けてる時点で、もう深みに達している気がしないでもないが。

 

 

 

 

 

正月随筆を時代別に並べてみる【幕末~昭和9まで】

 

あけましておめでとうございます。

 

歴史ジャンルにブログを置いてる私は、折角なので正月に関する文学やエッセイを青空文庫で眺める。

祝うものが正月だと思えば、近代作家のほうが戦時やら社会変化に巻き込まれていて、記述もそんなこと無かったり、逆に人生経験を積んだ上で幸せを願ってたりする。

 

なんとなく時代順で、当時の正月を記した部分を並べてみた。

婦人画報の写真をみながら追ってみると、さらに楽しいかもしれない。

100年雑誌が紹介した100年前のお正月風景 (fujingaho.jp)

 

 

 

幕末〜明治

勝海舟の逸話と、海舟日記沙より。

まだ旗本という制度に武家ながら貧乏という幕末らしい世情から生まれた悲しいエピソード。

 

貧乏な暮らし

江戸本所(墨田区両国)で旗本の子として生まれます。父は旗本でも役職がなかったので、貧乏な生活を送ります。少年時代には剣術に打ち込み、寝る間も惜しんで稽古をしました。
結婚してからも貧乏な生活が続きます。
正月に親戚にもらった餅を持って帰る途中、両国橋で風呂敷が破れてしまいます。暗い夜道を、餅を探すものの、大人になっても自立できていない惨めさを感じて、結局、拾った餅を川に投げ込んでしまいます。

勝 海舟(かつ かいしゅう) | 人物編 | 中高生のための幕末・明治の日本の歴史事典勝 海舟(かつ かいしゅう) | 人物編 | 中高生のための幕末・明治の日本の歴史事典

 

文久3年(1863)

海舟の日記。明治3年くらいまでの日記では、正月を祝った記録より幕末から明治で次々起こる事件や志士との交流の記載が多い。

 

正月元日 竜馬  昶次郎(近藤長次郎) 十太郎(千葉十太郎) ほか一人を大阪す至らしめ京都に帰す。

濱口義兵衛(濱口梧稜)方江文通す。

(海舟日記沙より訳)

 

1カ月前の12/9に坂本龍馬勝海舟に初めて謁見し門下となっている。近藤長次郎(1838~1866)も海舟の門下となり、亀山社中に加わることとなる。後に社中の盟約所に違反した責任を取り切腹

近藤長次郎 - Wikipedia

 

千葉十太郎(1824~1885)は竜馬が通っていた北辰一刀流千葉道場の長男。前年は勝海舟を暗殺しようと、二人と共に訪れていた。鳥取藩に仕え、後に勤王志士を道場に匿ったり、戊辰戦争では兵士の指導を行い、維新後は管吏となる。

千葉重太郎 - Wikipedia

 

濱口儀兵衛は多分、紀伊の醤油商人(現在のヤマサ醤油)にして実業家や政治家となる濱口梧陵(1820~1885)のことかな。

フィクションとしては、安静難解地震では己の田の藁に火を点けることで村人へ迅速に津波から避難させた「稲むらの火」の逸話が小泉八雲により小説化されたり、地元の祭りに残っている。

濱口梧陵 - Wikipedia

 

明治28年(1895)

岡本綺堂(代表作『半七捕物帳』など)による日清戦争時の正月話。戦時に適応した正月の様子が記されている。

 

明治二十八年の正月、その前年の七月から日清戦争が開かれている。
すなわち軍国の新年である。

海陸ともに連戦連捷、旧冬の十二月九日には上野公園で東京祝捷会が盛大に挙行され、もう戦争の山も見えたというので、戦時とはいいながら歳末の東京市中は例年以上の賑わしさで、歳の市の売物も「負けた、負けた」といっては買手がないので、いずれも「勝った、買った」と呶鳴どなる勢いで、その勝った勝ったの戦捷気分が新年に持越して、それに屠蘇気分が加わったのであるから、去年の下半季の不景気に引きかえて、こんなに景気のよい新年は未曾有であるといわれた。

岡本綺堂 正月の思い出

 

明治30年明治43年(1897, 1910)

寺田寅彦(1878~1935)は物理学者にして随筆家、詩人。

東京生まれだが高知の士族の長男という明治らしい出自。

後に出てくる夏目漱石の作品のモデルともいわれる。

 

日本の正月という伝統っぽさと明治ではまだ真新しかった汽車やヨーロッパ旅行の組み合わせが面白い。

 

九州の武雄温泉たけおおんせんで迎えた明治三十年の正月と南欧ナポリで遭った明治四十三年の正月とこの二つの旅中の正月の記憶がどういう訳か私の頭の中で不思議な聯想の糸につながれて仕舞い込まれている。

 

 (明治30年)翌朝は宿で元日の雑煮ぞうにをこしらえるのに手まがとれた。汽車の時間が迫ったので、みんな店先で草鞋わらじをはいたところへやっと出来て来たので、上り口に腰かけたまま慌ただしい新春を迎えたのであったが、これも考えてみるとやはり官能的の出来事であった。やっと間に合った汽車の機関車に七五三しめかざりのしてあったのが当時の自分には珍しかった。

 

 (明治43年)明くれば元旦である。ヴェスヴィオ行きの準備をして玄関へ出ると、昨日のポルチエーが側へ来て人の顔を見つめて顔をゆがめてそうして肩をすぼめて両手のてのひらくるりと前に向けてお定まりの身振りをした。

寺田寅彦 二つの正月

 

明治43年漱石

朝日新聞時代の夏目漱石43歳。

この年の6月に胃潰瘍で危篤となり、5年後に亡くなるまで入退院を繰り返す。

ここでは、新聞会社で正月記事を書かなきゃいけない愚痴を書いている。


 元日を御目出いものと極めたのは、一体何処の誰か知らないが、世間が夫れに雷同しているうちは新聞社が困る丈だけである。

雑録でも短篇でも小説でも乃至ないしは俳句漢詩和歌でも、苟くも元日の紙上にあらわれる以上は、いくら元日らしい顔をしたって、元日の作でないに極っている。

尤も師走に想像を逞くしてはならぬと申し渡された次第でないから、節季に正月らしい振をして何か書いて置けば、年内に餅を搗いといて、一夜明けるや否や雑煮として頬張る位のものには違ないが、御目出たい実景の乏しい今日、御目出たい想像などは容易に新聞社の頭に宿るものではない。

それを無理に御目出たがろうとすると、所謂太倉の粟ぞく陳々相依という頗る目出度くない現象に腐化して仕舞しまう。

夏目漱石 元日

 

昭和2年(1927)

漱石の弟子、芥川竜之介の死後発表された澄江堂句集に収録。

哀愁あふれる。他にも仲間へのハガキで正月を読んだ歌がいくつかあるらしい。

 

元日や 手を洗ひをる 夕ごころ

 

 

昭和9年(1934)

太宰治25歳の「葉」。中原中也と同人誌を作るも揉めたりした時期。翌年、首吊り自殺未遂や、留年していた大学の除籍する。

下は檀一雄の同人誌によせた、冒頭文ながら分かりやすく不安定にさせられる太宰作品。

 

死のうと思っていた。

ことしの正月、よそから着物を一反もらった。

お年玉としてである。

着物の布地は麻であった。

鼠色のこまかい縞目しまめが織りこめられていた。

れは夏に着る着物であろう。

夏まで生きていようと思った。

太宰治 葉

 

 

感想

 

探せばもっとあるだろうし雑誌の特集組めちゃうほどの文量になるだろうけど、真面目にやると正月休みがすべて潰れるのでここまで。

作家の個性もそうだけど、時世を読み取るのも楽しかった。

同じ年が一度もないように、同じお正月は一度もない。

 

今私が随筆を書けば、スーパーとネットの福袋にゲームの正月イベントの話になってしまい、重厚感は全くなくなりそうだけど、百年寝かせればアンティークものになるだろうか。

 

他の作家で面白い元旦の随筆や日記があれば、教えてください。

 

終わり

 

 

 

『ファミレスを享受せよ』『葬送のフリーレン』などから考える超長時間2023

 

長命種と読者

人間100年時と言われてから久しい現代日本

 

昭和の老けたアニメキャラが実は今の自分より年下だったことに驚いたり、老後にも労働しなくてはいけない不安に駆られたりするこのご時世だが、人間の時間間隔はフィクションを通じて大きく狂わされるし、順応してしまうことも分かっている。

 

人間はいかにして、自分の寿命を超えた長い時間の物語すら、自分のものとするのだろうか。そんな話を、最近人気な2つの作品から考察してみる。

 

ファミレスと葬送

『ファミレスを享受せよ』は2022年に月間湿地帯/おいし水により公開されたアドベンチャーゲームだ。

ファミレスを享受せよ by oissisui (itch.io)

 

そして2023年8月にはstem版、11月にはswitch版も発売され、間違いなく人気のゲームである。

説明文に

 

>永遠のファミレス『ムーンパレス』に迷い込むアドベンチャーゲームです

 

とあるように、この作品のテーマには「永遠」が存在する。プレイヤーは外へ出れないファミレスの中を歩き回りながら、同じく長い間ファミレスの住人となった人物たちと会話し、時間を潰し、長い時間をかけてこのファミレスに馴染んだり新たな発見をしたりして過ごしていく。

 

このゲームが面白いのは、実際にプレイヤーに、長く退屈になりそうでギリギリ退屈ではない時間を過ごさせることだ。ここに登場する人物たちは、大げさな行動や際立った個性をこれでもかと発揮するような人はいない。長い時間の中で、穏やかに過ごす事を受け入れた人々だ。故に誰もが静かに語り合い、プレイヤーも自信もゆるやかな世界に順応していく。

とはいえ、よく考えるとこのゲームをプレイしたところで、一時間は一時間だ。推定プレイ時間30分とあるように、エンディングまでは決して長い時間はかからない。むしろ激しいアクションのあるゲームのほうが、チュートリアルだけで一時間以上あっという間に立っていることもある。だが、このゲームに10分でも使ったプレイヤーは、確かに長い時間を過ごしてきた共感を覚えるのだ。

 

ここで長い時間を感じさせるのは、単純な風景と穏やかな世界によるものだろう

不老不死の冒険譚であれば、不滅のあなたへ』(2016〜)などの前例もある。だが、ここではアクション性を取りさり、淡々と流れる時間と、何かが起きても大きく心象を乱されない、長い時間においては全てが些細なことにみえる世界観が続いていく。

 

未知の世界に迷い込んだはずでありながら、プレイヤ—と主人公は脱出しなければならないと焦る気持ちを持続させない。三色だけのシンプルなイラストに静かなBGM。人物たちの卓越したかのような台詞への共感。ここに悠久の時を過ごした感覚を覚えさせる何かがあると踏んでみる。

 

さて、先にもう一作品について、軽く紹介しよう。

『葬送のフリーレン』は2020年からサンデーにて連載を始めた漫画、および2023年9月から放送したアニメだ。

 

https://frieren-anime.jp/

 

長寿のエルフであるフリーレンが過去の勇者パーティーを想いながら新たな仲間と共に旅する人気作は、SNSでも見れば考察が溢れかえっているので深くは触れない。

ここで提示したいのは、この漫画の特徴であるフリーレンの時間間隔だ。他の人物が生きる時間の感覚と、長寿により大幅に異なる時間間隔は、数十年ぶりの仲間に数日離れていたくらいの感覚で挨拶している様子や、遥か昔のことを昨日のことのように語る様子がこの漫画のクセとなる部分である。

 

もし『ファミレスを享受せよ』をプレイしたのなら、フリーレンの様子に近しいものを感じるはずだ。つまり時間にルーズとなり、どこか達観する感覚だ。とりあえず目の前に暇つぶしがあるからそれに向き合うだけで、それ以外は特にすることがないという感覚である。

 

そう、『ファミレスを享受せよ』は探索ゲームではあるが、基本的に多くをすることがない。プレイヤーができることは、狭い店内を歩き回ること、話題をみつけて他の人物と雑談すること、ドリンクバーを飲むこと。この3つだけ。冒険もしないし、頭を使う謎解き要素もそんなにない。ただぶらぶらとファミレス内を徘徊して、新たな雑談の種が手に入っては、誰かに話しかけ、そしてまたぶらぶらと徘徊しては、何か面白いものがないかを探させられる。

 

フリーレンも、時間がないという感覚が少ないため、基本的にゆったりと受動的に行動する。旅をするという自発的な理由が芯にはあるものの、表面は「なぜ人間はそういうことをするのか」という疑問を持ちながら、とりあえず人間を真似たり、仲間の言うことに従っている。このゆるやかな積極性こそ、私たち読者に長い時間を生きた感覚を与える部分なのではないか。

 

2023他作品での超長時間の扱い

他の作品も例に出していこう。

長寿で生きると言えば、手塚治虫の『火の鳥』。丁度今、『火の鳥 エデンの宙』が劇場で公開中だ。ここに出てくる火の鳥は、他の生命と自らをハッキリと分けて考えており、独自の考えで行動していく。こういった、長く生きたことで別の視点へとたどり着くキャラ造形は多いが、その場合読者に共感は生まない。別種の存在や、人間の善悪を超えた別次元の存在という扱われ方をする。ただし主人公たちの邪魔をするなら、それは凝り固まった自分だけの固定概念を持つ悪としても描かれる。

一方で、数千年間、ある一念のために行動する誠実さを表す場合もある。

鬼太郎誕生 ゲゲゲの謎』(2023)は今月公開の映画だが、このバージョン(6期)の鬼太郎はなぜ人間を守るのかと問われて「育ての親」を例に出す。人より長く生き達観した存在ではあるが、一方でその奥深くに刻まれた信念は、一年であっても思いを貫き通すことが難しい人間に対して、フィクションであっても感動を生む。

1000年以上経ても一貫した思いなのは、同じく2023年にアニメ最終回を放送した『進撃の巨人』もそうだろう。ネタバレというか内容を説明するのは長くなるので割愛するが、あれもまた異常な意志に対して読者がギリギリ共感できる人間的な原動力を持つことで共感を得ていた。

 

しかしこれらは、キャラと視聴者の絶対的な距離の隔たりがある。理解はすれど、我々とは異なる存在だと理解される。どちらといえば神話の神々に近い超自然的な方向性だ。

 

一方フリーレンでは彼女が人間性を学んでいき、その姿を主人公として追い続けることでその隔たりが緩和される。ファミレスでは超長時間を過ごす主人公とプレイヤーとの境界線が溶けてなくなっていく。

長寿いう異常性でなく、その日常を我々に追体験させるという特徴こそ、この2作品の独自性が生まれているのではないか。

 

客観的な視点での長寿

上記以外でプレイヤーに長い時間を過ごす体感させるものだと、ゲーム内で年単位の街作りや戦争をするゲームや交配などをさせる育成ゲームがある。桃鉄なんかは99年プレイができるけど、あれもまた擬似的な長寿視点であろう。

ただしこれは少数ゲームに限った話ではない。現実の時間より大抵フィクションの中の時間は早く進む。

ここにはフリーレンほどには長寿性を意識な視点はない。一方、一回の行動が1ヶ月かかるといった悠長さ、戦略を練るときは数年〜数十年先(現実のプレイヤーとしては数十分〜数時間)の展開を考える思考は、長寿という視点でもある。

ただし前述の通り、そこに長寿的という自覚は薄い。街づくりをする以上、必要だから長寿という設定がありそれを受け入れてるに過ぎないからだ。故に長寿によるデメリットや悩みを覚えることもない。

例外として、『俺の屍を超えていけ』など、短命なゲームキャラをいかに活用するかがプレイヤーに問われるゲームでは、相対的に長寿性による苦悩がみれる。短命性が特徴の作品だからこそ、長寿性と関連するわけだ。

 

終わり

フィクションのお陰で人間は100年、1000年、数万年を生きる感覚を楽しめる。だがその第一歩は「でも、それだけ長く生きてたら退屈でしょ?」から始まると思う。勿論長寿だからできる冒険活劇やゲームもあるが、この疑問に正面から答えるのがフリーレンやファミレスと言った存在なんじゃないかと、ダラダラ文章を書いて思った。

 

 

ポケモンから見る平成電気の歴史①~電気予報の予報するもの~

 

 

 

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 電気予報、良い曲ですね。

 あの頃の冒険の好奇心を掻き立てるAメロから、「あああああ」という名前ネタを挟んだ奇抜さで斬新さを思い出させてからの、ボカロならではの「はしるるるr」となりながら電子音ロックなサビ。

歌詞をみると、あえてひらがなだったり、図鑑やボックスの電子音、トキワのもりのアレンジに至るまで、ポケモンとミクと稲葉曇さんの三位一体がすごいわけで…

 

 

(前置き)ネットとポケモン

 ———と、こう語れるのは、私がドット絵世代のポケモンを知り、00年代から現代までのボカロを知り、稲葉曇というPの曲を知っているからだ。

 電子音やトキワの森BGMを聞いて懐かしむ世代は、ポケットモンスター赤・緑(1996年、平成8年)に発売した初代をプレイしたか、リメイクのファイアレッドリーフグリーン2004年)を知っているか、あるいは懐かしいBGMメドレーを聞いて懐かしめるような、つまるところ20~30代が対象である。

 初音ミクがネットで一躍有名となった時代もそれと被るから、この曲のメイン層はそこらへんじゃないかと思う。

 

 ポケモン大会やポケカが今より身近な頃、一方でこの時代のネットというと、ポケハック、いわゆるファイアレッドを改造した同人作品が流行し、ポケットモンスターアルタイル・ベガなどの動画が上がったほか、怖い都市伝説、擬人化なども流行った。我々にとって、「でんげきが はしる!」

「しょうげきを くらう!」で連想するのは、2008年のコイルショックにほかならない。

www.nicovideo.jp

 

 公式からの供給が今よりも薄く、ジムリーダーがゲームの一瞬、アニメの数話しか登場しないことで、今以上に自由な設定の二次創作が投稿されていた記憶もある。番外だとポケスぺのSSとかも含まれる。

 

 同時に、でんきタイプに焦点を当ててみると、時代ごとの特色が覗けるじゃないだろうか。と思い付きで書いてみる。そのとっつきとして、でんきタイプのジムを順に追っていこう。

 

 

カント―:

クチバシティ(1996)

https://game-e.com/pokemon-pika-vee/map-city/kuchiba-city.gif

(良い画像がなかったので、ピカブイの攻略サイト画像より)

ポケモン クチバシティ - Bing video

 

 でんきねずみのピカチュウというマスコットキャラを生み出した今作では、国際線の行き交う港町がでんきタイプのジムに選ばれた。

 ジムリーダーのマチスは米軍人のようないで立ちで、横須賀がモデルなどと言われている。が、街を歩くとビルなどもなく、家より船が多いなど少し寂しい。

 

 電気と港町を結びつける要因の一つは、まず石油だろう。この1990年代は、石油需要の高まりと共に世界的な規制改革が行われた。日本でも規制緩和および平成7年に電気業法が改正されるなど、変化が訪れる。

電力自由化の経緯 - 電力システム改革 | 電気事業連合会 (fepc.or.jp)

 

 人々の使う電気は、家電に娯楽、そしてポケモン自体であるゲームや玩具などにより増大していく。電子やネットも発達することで、かがくのちからってすげー!という感想や、ポケモンをPC上で電子データとして送受信するポケモン預かりシステムが生まれる背景でもある。

 

 同時に、この時代はバブル崩壊の時期でもある。日本の家電メーカーが不況となる時代でもあり、またこれより後に電気は無尽蔵でなくコストも膨らむことから、省電力という発想が普及し始める。

 

 10ばんどうろに登場するさびれたはつでんしょも、このバブル崩壊の影響を受けたものかもしれない。

ポケモン

 151匹のうち、でんきタイプは9種類。

 カント―地方のでんきタイプは、ピカチュウ、エレブー、サンダー、サンダースと殆どが生物タイプであり、でんき=黄色のイメージがなされている。また身体の一部にとげとげやイナヅママークがあることから、一目ででんきタイプと見抜きやすい。名前も「ピカ」「サンダー」「エレ(キ)」と連想する。

 

 一方無機物で目立つのは、コイル、レアコイルである。

 無機物的な存在、黄色でなく金属色という存在で、両手が磁石である。名前のコイルとは金属に導線をグルグル巻いたもので、これに電流を流すと磁力線を生み出す。そしてコイルを2つ巻いて電流を流すと、相互誘導という電磁誘導が起こる。なので見た目とはそんなに関係ない。

 一つ目で浮いてる存在なので、でんき版ズバットのようなポケモンとして考案されたのかもしれない。

 

 他にギミックモンスターとして、ドラクエミミックと似た扱いの、ビリリダママルマインもいる。ビリリとする玉、丸いマイン(地雷)と分かりやすいネーミング。

 

ジョウト(1999)

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 ジョウト地方にはでんきタイプのジムがない。

 ただしポケギアといった電子ツール、そして田舎町や古都のイメージの多い街に対して、コガネシティという大都市とラジオ塔が存在する。

 街のシンボルにタワーを建てること事自体は現実でも東京タワー(1958)や通天閣(1956年、ラジオ塔ではなく展望台)、さっぽろテレビ塔(1956)など1950年代後半に多い。

 

 それにテレビ全盛期の時代にあえて「ラジオ塔」としているあたり、目新しさは薄れたが街のシンボルとして定着した塔となっている。既にマップ内の家々もテレビが普及しているから、ラジオを聴く機会は減っているはずだから、途中でロケット団が乗っ取り放送をジャックするも、一時代遅い印象がある。

 

 だが、ポケギアという多機能電話ツール、つまり携帯電話が登場した。現実でも1999年ごろにガラケーが発売されている。1995年にPHSという通信手段とが開始され、またSMS(ショートメールサービス)や着メロといったサービスが生まれる。そして1999年にはドコモのiモードによりインターネットが利用可能となっていた。

 また、これによりラジオのインターネット配信も始まろうとしてる。競馬放送のラジオNIKKEIインターネットでの音楽配信時の著作権を、サンフランシスコで洋楽を流すことで解決したJ-WAVE配信された時期でもある。

 

参考:インターネット配信時代のラジオ~その歴史と広域化の流れ~20131105.pdf (nhk.or.jp)

 

ポケモン

 世紀末に発売された今作で、でんきタイプは、メリープ系列、初代のたまごポケモンピチューエレキッド、伝説でライコウが登場する。

 メリープは電気羊、羊の毛は静電気がでそうなイメージは元々あるけど、間違いなくブレードランナー(1982)の原作である「アンドロイドは電気羊の夢をみるか」のイメージからだろう。体力は青からモココでピンク、最終的にはでんきのテンプレな黄色、デンリュウとなる。

 

 一方で初の「でんき」「みず」とでんき以外のタイプを持つ、チョンチーランターンというチョウチンアンコウっぽいポケモンが登場する。これによりバトル戦略が増えると同時に、モココを含め電球を身体に埋め込んだポケモンの登場で、でんき=光のイメージも追加された。同時にコイルもはがねタイプが追加。でんきタイプのみではあっらわせない無機物タイプも登場してくる。

 

ホウエン(2002)

キンセツシティ

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 ゲームセンターの存在する、キンセツシティが登場。同時に人の発展の負の側面ともいうべき、新都市計画の失敗地ニューキンセツも登場する。

 

 現実ではガラケーに様々なアプリが登場2002年にカメラ付き携帯も登場し、折り畳み型やスライド型などデバイスが多様化する。

 

 現実での1999年、ゲームセンターは、アーケードゲームの流行が衰退、今作のゲーセンに登場するスロットゲームも射幸心が高すぎると公安委員会や自主規制により仕組みを大幅に変えた結果、あまり受け入れられなかった。また、ポケモンと言った家庭用ゲームなどにより人気が衰退したとも言われている。任天堂はどんな気持ちでゲーセンを作ったのだろうか。

 この後、2003年に北斗の拳、吉宗といった台も増える。00年代ではコンピューターグラフィックも良くなったため、表現で人々を惹きつけることも多くなった。

 

 ポケモンの対抗ゲームを見ると、1999年に発売、アニメ化を果たしてヒットした「デジタルモンスター」が登場する。近未来要素を詰め込んだロックマンエグゼ(2001)が登場。2ちゃんねるも発達するなど、ネットへのイメージが膨らむ時代である。

 

 そこで差別化をはかるため、あえてでんきタイプのジムがありながらでんき=ネット、発展の象徴と絡めず、むしろ発電機の暴走などのイベントを取り込んだ衰退的な社会問題のほうへ目を向けたのかもしれない。

 だが同時に、2004年に発売するニンテンドーDSの開発が少しずつ始まった時期だったともいえる。

 

ポケモン

ラクライライボルト

プラスルマイナン

 が追加された。どちらも生物系のでんきタイプのみで、名前だけででんきタイプと分かる。プラスルマイナンは、ダブルバトル(フィールドで同時に2体だし、2vs2で戦うバトル)の導入で、ギミックを楽しむべく、互いがいると能力のあがる「プラス」「マイナス」という特性を持っていた。

 

 そういえば映画「裂空の訪問者 デオキシス」(2004)が公開され、最先端の科学都市ラルースシティが登場するのもこの時期だった。

 

https://th.bing.com/th/id/R.486805dce6ffd0ddbcdae685b2e431a5?rik=3i9Yvv%2fK1vaHEg&riu=http%3a%2f%2fwww.pokepedia.fr%2fimages%2fthumb%2f0%2f01%2fLarousse_City.png%2f384px-Larousse_City.png&ehk=JsEI3KpuMi5VlWPlYXxVYAobvqmBvbrCrvRTjJ4txcE%3d&risl=&pid=ImgRaw&r=0

 バンクーバーがモデルのこの街では、ロボットや今でいう小型ドローンが登場するこの映画は、風力エネルギーから成り立っていたが、街のシステムが暴走する出来事が起こる。テーマの一つに宇宙と隕石も含まれておりかなり未来的なSF作品ともいえる。前年度の「七夜の願い星 ジラーチ」や次作「波動の勇者 ルカリオ」がファンタジー寄りであるのと比べても分かりやすい。

 

まとめ

 ここまでで、ポケモンでんきタイプに対して、分かりやすい雷のイメージをシンプルに入れつつ、必要以上に多く複雑に与えなかった。登場するポケモンも近未来感や無機物的なイメージよりは、むしろ自然の雷や生物的なイメージを持たせている。

 また電気に関する街のイメージも最先端ではなく、一つ距離を置いた視点でとらえているように思う。

 一方で冒険をより効率的かつ楽しんで行えるツールとしてポケギアを採用している。またゲーム外ではポケモン交換や対戦のツールであるコードをワイヤレスアダプタにするなど、新技術を柔軟に取り入れている。

 

ポケモン内ででんきタイプが大きくゲーム世界に関わるのは、ロトムを始めとする第4世代からとなる…

 

のでひとまずここで一区切り。