【アンネルとフリーチェル】感想~フリーレンの時系列シャッフルと狭き門の迷い家に触れて~
フリーゲームをプレイしていると、名作なのに攻略とDL先の話しか出てこない作品と多々出くわす。
それでもここ数年の新作ならまだ感想やレビューがつけられやすい一方で、昔の刑事五番企画などで作られたような作品ともなれば、折角ネットに残っていても、もう新しいレビューなどを見ること能わずとなり、寂しい。
同年代のB級映画や打ち切り漫画のほうが、まだ時折話題になる。
というわけで、昔の作品をレビューしたいなと思ってフォルダを漁ったら、アンネルとフリーチェルが名前順でトップに出てきた。R18なので大っぴらに勧めにくいけれど、その中で繰り広げられる幾つもののカタルシスなサブシナリオがRPGとして好きな作品だ。
歴史ジャンルではないけど、VHゲームの派生であるVPについて一度書いたことあるし、ここ10年で私以外に感想やレビュー書く人いなさそうなので、ここはあえて書いてみたい。誰も記述しないことを書くのもまた、歴史として重要だ。
(ただし、なるべくR18要素は含めずに書くので、そういう要素気になる人は他サイトで見て欲しい)
あらすじ
ポーションの材料となる薬草を摘みに来たアンネルとフレーチェル。
しかし、森で道に迷ってしまった2人は怪しい屋敷に辿り着く。
館の女主人は、2人を暖かく出迎えるが薬によって眠らされてしまう。
女主人の目的は、2人を息子であるアダムの花嫁にする事だった。
館からの決死の脱出劇が始まる。
https://seesaawiki.jp/w/vh2/d/%b3%c6%ba%ee%c9%ca%be%f0%ca%f3
ゲーム制作サイトwiki(R18注意)より
システム自体は青鬼ライクである。
舞台は柳田國男の「遠野物語」に見られるような迷い家、森の奥にある屋敷。
ここに迷い込んだ2人の少女に、屋敷の主は脱出ゲームを持ちかける。
プレイヤーは迷い込んだ少女の一人、アンネルを操作して屋敷を探索し、脱出するために道具を集めたり謎解きをしていく。もう一人の少女フレーチェルは人質として部屋に鎖で繋がれており、アンネルは屋敷の脱出口を見つけることと、フレーチェルの枷を解く鍵を探すことを目的に屋敷を探索する。
しかし一定間隔または突然、屋敷の次期主人アダムが画面に出現し追いかけてくるため、アンネルは上手く逃走しなくてはいけない。
捕まえられるとペナルティを加えられて、元の部屋に戻され、必要以上に捕まるとゲームオーバー。
そして屋敷を探索する中で、この屋敷にいたであろう他の住人たちや当主たちの痕跡を辿り、屋敷の真相についてプレイヤーは知っていくこととなる。
青鬼と違うのは、追手であるアダムや女主人が不気味ではあるが、同時に人間でもあることだ。彼らはときに残忍に、コミカルに、そして隠された感情を見せてくれることで、悪役ながらも完全に憎めない存在となっている。
そして私が特に感動したのが、この屋敷をまつわる住人たちのエピソードだった。ゲームの攻略には殆ど関係しない、飛ばし読みして構わないけれど、RPGの物語としてはとても秀逸であった。純文学性すらある。ので、今回はこれを深堀していきたい。
ここから本編に触れたネタバレとなる。
時系列シャッフルの話(スキップ可能)
まずこのゲームを語る前に、物語の基本の確認だ。
物語において、時間軸と話の流れは一致しない。
物語は起承転結が基本だけれど、話の順番は「転」や「結」からスタートする作品が多い。まず衝撃的なシーンで視聴者の目を引き、それから「どうしてこうなったというと……」と回想的に、時間を巻き戻してキャラや世界観の話を始めるというアレだ。テレビの30分作品でも、ツイッターの広告漫画でも、冒頭に衝撃的なシーン→OP→事の発端の説明みたいな話になるのが増えた気がすると所感を持っている。
それを冒頭のみでなく、作品全体で一連の出来事の時間軸をシーンごとに区切り、緩急のある並びに置き換える手法は、時系列シャッフルとか言われる。
極端かつ優れた作品で言うと、タランティーノ監督による映画「パルブ・フィクション」がある。ウィキペディアなどで先に内容知ってしまった人は、「本当にこんなグチャグチャで話理解できるの?」となるが、もし何も知らなければそのまま作品を視聴して貰いたい。あるいはネタバレを知ってしまったが視聴はまだという人も、十分に楽しめるはずだ。
時系列シャッフルというのは、言葉だけ聞けばややこしくなると感じる一方、シーンごとの感情が繋がっていさえすれば、十分に楽しめるものだと気付かされる。
葬送のフリーレンは、一話の中で現在の出来事を解決するシーンと、回想の中でかつて勇者パーティーの遭遇した出来事のシーンが、同時に進行することがある。仮面ライダーキバも、過去と未来を一話の間で行き来する構成に当時反響があった。
現在の事件Aに出くわす
→フリーレンが過去の事件Bについて類推する
→Aの事件をBの経験を活かして解決する
→Bを解決したときのことを思い出す
→回想終了、次の旅に向かう
という流れだ。これも時系列に並べると、事件Bの一連の解決→事件Aの一連の解決となるが、それはどう考えても味気ない。
このとき、時系列が入りまじることで生まれるのは、「事件Aを解決する」という大きな目的に対する流れ(メインプロット)に対する、「小さな事件の流れ」であるサブプロットだ。
魔王を倒す冒険譚という大きなメインプロットの下で、パーティー内の恋愛イベントや仲間同士の喧嘩、ライバルと度重なる激突と決着の行方など、細かなサブプロットがあることで、話は一層深みを増し、視聴者を引き込んでいく。
そのサブプロットを引き立てる方法として時系列シャッフルを見ると、例え冒頭で話のオチが示されていても「どうしてそうなったのか」が知りたくなるし、あるいは「シーンAとシーンCは既に示されたけれど、その間にあたるシーンBで何があったのか」が知りたくなる。
他に時系列のうまい作品を海外文学などでみると、ミステリ小説「カミーユ・ヴェルーヴェン警部シリーズ」で知られるフランス作家ピエール・ルメートルの作品がある。
彼のテレビ脚本家という経歴も影響したのだろうか、この時系列を巧みに操ることで国際賞を獲得し、日本でもミステリ賞の海外部門の常連作家となっている。
シーン1で悲劇の人と思っていたら、シーン2で狡猾な犯罪者となり、シーン3ではその犯罪をした動機には悲劇が隠されていて、と思ったら、実はシーン1と2の間に1.5という衝撃的なエピソードがあったことを明かされて、シーン2以降の評価が全てひっくり返る……みたいな、複雑なプロットと読者の持つ印象の裏切りを何度も見せてくれる。
前置きが長くなったけれど、つまりこういうトリッキーなシナリオシャッフルを上手く用いた作品は名作になれる、くらいの話だと知ってくれればいい。
屋敷の住人たち
作中序盤において登場人物は、
・基本的に冒険するアンネル
・追うアダム
・囚われのフリーチェル
の3人だけしか登場しない。これは勇者、魔王、姫とも置き換えられるJRPGでの王道要素だ。だから目的もシンプルに、プレイヤーは探索をし続けられる。
しかし途中、この広い屋敷には他に使用人がいるはずだとアンネルは気づき、また探索中にもかつては多くのメイドや下男がいたことが分かるようになる。
ボロボロのベッド、残された文字などから、プレイヤーはこの時点で、既に屋敷にいた人は殆どいなくなっていることを察する。だがそれは、古びた屋敷というテンプレでよくある話だし、気に留める必要もない。
だが「メイドの日記」「管理人の日記」など、20年前に書かれた記録を読むうちに、どうも彼らはただのモブなどではなく、それぞれ名前があり、思惑を抱えていた存在だと気付く。
・最初に名前が判明するストリクスという美少女
・いつか再出発を果たそうとする知的なメイド長デイジー
・主人におぞましさを覚えているが従う水車小屋の管理人シュウ
・没落貴族で無知純情な少女リーゼン
・世話に手を焼くクリス
・長年勤務しているちょっと腹黒なエイミー
などなど、同時に彼女たちはこの屋敷に勤めているが、彼女たち自身はここを牢獄や隔離施設などと思っていること、渋々従っていることなど、あまり良い気分ではないことを知る。
またメイドたちは主人が恐ろしいらしく、お互いを乏しめあうことで自分だけは罰を逃れようとしていたらしい。
探索を続けるうちに、メイドたちの性格や屋敷に対する想いを理解するようになる。見た目などの情報は最低限、だがプレイヤーは、気づくとその姿を脳内で想像していく。その探索する途中で出会ってしまうのが、待機ルームを始めとする、彼女たちに待つ悲惨な経験の記録。
R18表現なのでボカしはするが、その後も探索を続けると、様々な経験を経て、メイドたちがどんな末路を辿ったかも示唆される。しかしそれを察するのはただの文字や痕跡のみ。彼女たちの姿を見ることはない。
とはいえ、メイドたちは既にここにいないから、屋敷脱出をしようとするアンネルと直接関わることはない。できることは精々、彼女たちの残した記録を読むことだけである。
探索を続けると、件のメイド長の日記を読む機会があった。そこに書かれているのは打って変わって、彼女の持っていた野心やそれまでの経歴、メイドたちの指揮が大変なことなど、突然メイド長の個人的な性格が語られる。
プレイヤーは既に彼女の結末を知っているが、そこにあるのはまだ絶望的な経験に至る前の、生きた人間としての想いが見て取れる。
メイドたちにルールを守らせるために四苦八苦し、変なアイデアで解決しようとするコミカルさもある。
突然のクイズも彼女の仕業。録音された音声では、他のメイドたちがドタバタしている様子も分かる。メイドたちには残酷な結末が待つものの、ゲーム内ではそれを遡るように全員が忙しくはあるが、希望を持って仕事をしていた頃の楽し気な光景をプレイヤーに想像させる。
一方で、更なる絶望を味わっているのは、黙って従っていたはずの管理人だ。
彼もまた、このような場所で仕事をするのには彼なりの大事な理由があった。
0 ミスもせず従っていれば何もされない、そう思い込んでいた彼だったが、遂に脱出を目指すようになる。
つまり、この屋敷にいた人物はそれぞれ、この地獄のような屋敷から脱出を目指す、アンネルと同じような人間たちだったわけである。
更にそれは、過去の人物たちだけではなかった。
アンネルを追ってくるアダムは、鬼ごっこの鬼役にふさわしく口調も見た目も酷いものとして描かれている。
だが一方、時折謎のコミカルさをみせたり、母親である女主人に怒られて凹んだりと、完全に憎むには憎み切れない存在でもある。
そして他の住人同様、彼の謎も、そして見た目の醜さの理由すら伏線となり、後に判明する。
彼女たちのそれぞれの行動が時間軸はバラバラながら徐々に判明し、そして探索を終え、全員の過去と現在が一直線になったとき、プレイヤーはエンディングを迫られる。
そこにでプレイヤーは、アンネルの裏と表が切り替わる瞬間を目撃する。それはまさにSAWシリーズや先ほど述べてきたパルプフィクション、その女アレックスに繋がる善と悪の切り替えを幾度となく体感させられる。
マルチエンディングと悪意の因習
この屋敷に渦巻くのは、逃げようとする者を残虐に弄ぶ悪意。
誰かが誰かを貶める連鎖が、新たな悲劇と悪意を生む真実。
その中にアンネルは加わるのか、あるいは断ち切るのか。
このゲームはマルチエンディング。
勿論見事脱出を果たすエンディングを選べる一方、カタルシスを覚えるべく、アンネルがここに囚われたままの未来も見ることができる。その際に見るエンディングは、上記に述べた作品にも共通するバッドエンドの痛快さを感じることができる。いや、バッドエンドかすらも、それはプレイヤーの解釈次第となる。
この屋敷に巣食う悪意は、個人的な悪を越えて、屋敷全体に沁みついてしまっているから、それは最早異界なのである。
考えてみると、このゲームが作られた当初、未知の場所に迷い込むRPGツクールゲームは多くあった。
しかしそれは青鬼のように未知の怪異による理解不能なものか、それこそ幽霊などが支配する学校や異界であった。
そこには超自然的な存在がいた。
一方、このゲームは、魔術こそあれ、全てが人為的なものである。
すべてのことが、誰かが何かをしたことにより形作られ、例えどんなに猟奇的なものであってもそれは人間によるもの。
しかしその人間を支配するのはこの屋敷に宿るしきたりや空気である。なので発想としてはミッドサマーの宗教村、日本のオカルト板みたく言えば因習によるものである。
人間が集団となった際の、上の悪意に従い、逆らう意志のある者が多くいながら、目立って逆らった者がいれば例え仲間でも罰するのを手伝う、という悪循環。
メイドや管理人たち、更には屋敷の中の者まで、多くの人間が屋敷を嫌悪し脱出を試みながら、誰一人として協力して脱出をしようとしないという気味悪さが、このゲームを支配する。それがこのゲームの魅力の一つでもある。
改めて、アンネルが無事に脱出するかどうかはプレイヤーに委ねられる。
だがミッドサマーや因習村の洒落怖のコピペが流行ったように、人間はその狂気に惹かれてしまう。ゆえに、バッドエンドを見ようとするその瞬間、プレイヤーは性を越えて、悪の行き先を見届ける衝動に駆られる。
最後に脱出を拒むのは、この屋敷の悪に魅了されたプレイヤー自身だというメタ的なアイロニーがここに存在する。
感想と狭き門
このゲームをやっていると、新約聖書でよく引用される「狭き門」の一句を思い出させられる。
「狹き門より入れ、滅にいたる門は大きく、その路は廣く、之より入る者おほし。生命にいたる門は狹く、その路は細く、之を見出す者すくなし。」
多くの脱出を志すものがいながら、何故多くが滅びに至ったのか。
一方アンネルが脱出できるのはなぜなのか。それは他の人間たちのように一人だけで脱出しようとせず、フリーチェルを見捨てずにいたことと関係があるのだろう。
また、ノーベル賞作家のアンドレ・ジッドによる同名の小説では、清くあり続けようとしたヒロインのアリサが、逆に現世での自己犠牲や困難な道を行くことに取り憑かれてしまい、端からみれば不幸な結末を送る話がある。
それはこの作品とある意味対局にあるのだろう。
アンネルが悪の狂気に飲み込まれたエンディングでは、館の主人の役目を引き継ぎ、迷ってこの屋敷に辿り着いたものを残虐な目に合わす側へと回る。
そこにあるのは、この悪意こそが崇高なものと捉える信仰にして狂気。
清き狭き門を目指したアリサと、邪悪な大きな門に呑まれたアンネルの行きつく先が、端からみれば両極端のバッドエンドとなるのも面白い。
……と、長々と書いてみた。
実際プレイした人からすれば、ひと昔前の、フリーのエロゲ―の1つに過ぎないし、こんな感想は飛躍しすぎだと思われるかもしれない。
それでも、私の脳内にこのゲームをプレイした記憶がこびりついて離れない以上、私にとってこのゲームは名作であったということになる。
スクリーンショットでは乗せにくい絵ばかりなので、文字ばかりとなったけど、そんな感じの感想でした。