2026年の正月が終る。
多くの人々が、今年は良い一年となるよう祈願し、正月イベントやセールを愉しみ終わったころだろう。
縁起を担いで、知人と挨拶し合い、新年会で早速羽目を外す人もいる。
正月≒幸福な時間
という共通認識は、皆持っているはずだ。
……しかし、それは最近本当に当てはまるのかと思い始めた。
新年と報道
ベネズエラのニュースに世界が驚いている。
しかし、どこの国か、どんな歴史を持つのかを把握してる人は少ない。
日本でも今年中南米を扱った作品が多く出てた。
ノーベル平和賞のマチャドも出た。
麻薬密輸団にミサイルを放つ報道は、トランプ政権の象徴のようにも見えた。
しかし、結局、欧米や隣国の歴史より、文化の触れ合いが少ないせいで、遠い世界に感じる人もいるだろう。
私みたく、ベネズエラの無形文化遺産「悪魔の踊り」(La Diablada de Oruro)が好きという変な覚え方をしていなければ、多分文化も知られない。
私は獅子舞とか、なまはげみたいな来訪神のお祭りが好きなんで、こういうのも好きです。
ここで私の知りうるベネズエラの知識を語っても良いが…
多分知識欲のある方は本を買うかチャットAIに既に聞いている気がするので、省略する。
今回はそれより、正月に対する最近の文化と社会情勢に触れてみたい。
と、いうのも。
日本では2024年、1日の能登半島地震から始まり、日航機事故などのニュースが連日続いた。
正月イベントの自粛もまだ記憶に残っているだろう。
日本語版ウィキペディアを覗くと、2025年1月1日の出来事の欄は、襲撃事件や爆破事故しか乗っていない。
では我々は、去年、一昨年の正月には何も良い事がなかったのか?
もちろんそんなことはあり得ない。
様々なイベントは確かに合ったり、この日に合わせて結婚報告をする人たちの祝福もあった。
だが、歴史を振り返ると、正月に国際情勢が動くことはよくある。
ある日の地震が1/365日の確率で起こるとすると、約0.27%。
ガチャで正月キャラを引く確率より少し低く、宝くじの当たる確率より高い。
そんなわけで、正月においても悲惨なニュースを聞く可能性は別に低くないわけだ。
ではなぜ、正月における不幸なニュースが、特段不穏に感じるのだろう。
そこでまず、正月そのものの価値観を確かめてみる。
日本の正月は厳かなのか
これは主に欧米都市での2026年になった瞬間をまとめた動画である。
これに対して東京では、人の集まりを規制するような動きがあった。
渋谷のハチ公に壁を設けて集会規制をしたのも報道されている。
下は東京の中心の年越しの様子だが、サムネは釣りである。
海外のニュースを見ると、実際は確かに花火も音楽もなく静かである。
ABCニュースは、新年を迎える日本のライブ映像で、派手な場所ではなく、東京の寺社で「仏教徒が108回鐘を鳴らして幸福を祈るイベント」(言葉通りにとれば)を紹介している。
こうして並べて分かるように、どうも日本の年越しは厳かに見せる意図があるらしい。
確かにテレビでは派手なカウントダウンライブをしているけれど、紅白歌合戦を含めて多くの番組は年の切替る前に終わる。
つまり日本に置いて、年越しの瞬間を厳かに迎えるというのは、少なくない体験といえるだろう。
しかし、厳かというのは、幸福な時間と重なるのだろうか。
ハレの正月という文化から考える
正月は、ある種の神聖な儀式である。
除夜の鐘や鏡開き、参拝などから分かる通り神仏と通じる。
我々は身を清めるからこそ、御払いや大掃除をし、今年の運気を呼び込む。
だから、厳かになるというのは政府広報などでも紹介されている。
日本の正月文化の起源と意味(政府広報オンライン、2025年11月)
https://www.gov-online.go.jp/hlj/ja/january_2025/january_2025-00.html
しかし海外イベントの影響を受けて、派手に過ごす文化も存在する。
なので現在日本には、派手に過ごす人と厳かに過ごす人の2種類が存在する。
では、どちらが正しいか……などというのは特にない。
伝統的かはともかく、両者ともハレの日という解釈であるからだ。
さて、ここでハレの日、いわゆる穢れを落とす特別な日を考える。
ハレとは、日常を「ケの日」と考えた場合、 お祭りや特別な行事などで非日常のことを指す、日本民俗学の用語だ。
そして神事や結婚式などでは、白い服を着る。
反対に葬式など「死」は黒服や社会上最も「ケガレ」に対する払いの儀式を行う。
つまりハレの日とは、ケガレの払い落し、あるいはケガレを持ち込まない日である。
そして正月も当然、ハレの日に該当する。
ここに不幸なニュース、つまり穢れが流れ込めば、それは去年のものとして払い落としたものを再び浴びることとなる。
しかし重大なニュースをメディアは報道しないわけにはいかず、ハレの中に穢れは持ち込まれる。
よって、我々はそれを忌み嫌う。
社会や個人の問題を抱え、日頃戦争や紛争で人々がなくなっている事実を知りながら日々を生きる中、ハレの日はそんな制約から解放され好きに振舞っていいことを許された日である。
そんなときに、穢れを目に入れてしまえば、ハレの日の役割を果たせなくなるわけだ。
だから正月は、穢れと感じる不幸な話が入り込むと、沁みついた価値観が拒絶を示すともいえる。
……と、考えられるけども。
ならそれは昔からのことで、昨今不幸に感じる機会が増えたという話にはならないのでは?
と返されるだろう。
ではここに一つ、昨今により変わった要素が入り込むとすれば何だろうか。
例えば、昨今は嫌なニュースが、いくらでも正月でも回るようになった。
ソーシャルメディアの発達で、スマホで正月キャンペーンに応募しようとしただけなのに、視界に速報が入り込む。
推しの正月入籍に狂う人も話題になる。
SNSを見れば、いくらでも穢れに分類される情報がおススメとして流れてくる時代。だ。
果たして我々は、この時代の正月に、本当にハレの日を即すことができるのだろうか?
まとめ
・年末年始って特別幸福を呼び込む日だけど、嫌なこともよく起きるし報道される。
・日本の正月はハレの日という神仏行事。各個人の解釈で派手にも厳かにも行ってた。
・でも穢れ(不幸な話など)を持ち込むべきでない正月に、今はメディアやSNSを通じて向かい異常に来ちゃうね。
みたいな、簡単にすると味気ない話になってしまった。
疑問に対する解答がないのは、別に正月満足度のアンケートとか取ってないので、分からないからです。
正月休みの終わりにこんな長文を書いたけど、思いついたことをダラダラ書いただけなので、上手くまとまっていない感じになった。
書初めの代わりにしては回りくどい文章だけど、日記の一つとしてここに投函しておきます。
ここまで読んで頂いた読者の方に、よい一年がありますことを。