化石と神代から古代へ至るまで〜蒸気が竜を呼び起こす〜
古代と似た言葉に太古がある。
太古のロマンといえば恐竜。しかし現代、第四紀と恐竜の時代は隔絶した世界ではない。
最近でも中国で恐竜に哺乳類が噛み付く化石が見つかったり、恐竜と鳥類の進化図を埋める羽毛恐竜が発見されている。
では我々は恐竜と出会うまで、化石とどう触れ合ってきたのだろうか。
古代ギリシアと化石
古代ギリシアの人間も、化石を過去の生物の骨だと気づいていた。紀元前7世紀のタレスやその弟子アナクシマンドロスも、山にある貝の化石からかつてそこが海だったと推測したりもした。
アリストテレスが化石を神秘の力で生まれたとする「造形力説」を出したことで、後のキリスト教世界に至るまで化石研究はこの説のままであった。
それは17世紀に入ってからもそうで、大学教授ヨハン・ベリンガーが同僚の悪戯による偽の化石(文字入りのものまで)を神の手によるのだから不思議はないと研究し、本として出版してしまった事件。同僚は途中から偽造だと説明したが中傷だとして受けれいれず、最終的に自分の名前の書かれた偽化石を発掘したことで本を破棄したという。
画像元、銀座新聞ニュース
あるいは化石を神話と絡めた人間もいた。記録に残っているものだと、博物学者ヨハン・ヤーコブ・ショイヒツァー(1672-1733)の話がある。医師、数学教授、物理学教授と遍歴した彼は旅行先で化石を収集し研究をしては、多くの旅行記や本を出した。その中で、見つけた化石をノアの大洪水により亡くなった人間のものと考え、ホモ・デルヴィイ(洪水の人)と名づけ、化石と神話と絡めて体系化した本『神聖自然学』を出した。この化石がオオサンショウウオの仲間だと判定されるのは1811年のことである。
産業革命と目覚め
迎えた19世紀、産業革命により大規模工事が行われるようになると、同時に多数の化石も発掘された。水爆からゴジラが目覚めたが、恐竜も蒸気機関により目覚めた。しかしそれはまだ微睡みの中。
化石夫人ことメアリー・アニングがイクチオサウルスの化石を発掘するニュースが話題となり、世界最初に恐竜を発見したとされるギデオン・マンテルも採掘場から化石を見つけ出す。彼は検討を重ねるため多くの学者に鑑定を依頼し、その歯の化石がなんの種かを特定しようとした。
後世では、これこそその復元図がおかしいことで茶化されるなイグアノドンだが、他の鑑定者が人や魚の歯、サイの歯だという中で、数多の生物を調査し爬虫類のイグアナに目をつけたその研究は、神秘の骨から、恐竜という爬虫類の存在に近づいたこととなる。現代でも復元CGが最新研究によって何度も修正されるのを考えてるので、彼自身が奇天烈な発想を持っていたわけではなく、むしろ科学的な方法ではある。
一応、当時の復元図も貼る。下の骨は木の枝と間違えてる。イグアノドンの指がツノだと間違っているのは有名。
とはいえ、そのまますぐに骨が爬虫類のものと認められたわけではない。後に「恐竜(dinosaur )」の名づけ親となる王立協会の学者リチャード・オーウェンもこれは哺乳類の歯だとして対立することになる。
そして爬虫類である証拠が集まり、改めて学名をつけるとき、最初「イグアナサウルス」とつけようとして、それは現在のイグアナの名前でもあるからと「イグアノドン」と名前がつけられた。人類が初めて学名をつけた恐竜の概念はうまれた。
化石が神の奇跡、または神代の証拠としての在り方から、実在する古代生物の世界へと繋がる橋のかかった瞬間である。
後書き
古代と古代史は違う。
古代史は「古代の人類の歴史」といった使われ方をする一方、古代は人類誕生以前の説明にも使われる。
このブログのタイトルは古代風景だから、第四紀以前の話もすることで、今日と古代をつなげるのは人類のみではないので、たまにはこんな感じのも書いてみたい。