今日から繋げる古代風景

日々の出来事を無理やり歴史に紐付ける人

【Violated Princess】のグッドエンド攻略メモ書き

 

今回は歴史と全然関係ないよ。R18同人ゲームの話題のため、閲覧注意。表現は極力抑えている。

 

 

作品販売サイトURL(DLsite)

【10%OFF】Violated Princess [思い出し笑い] | DLsite 同人 - R18

前書き

VHゲームという、かつて掲示板にて「俺たちでエロゲを作ろう」という動きがあり、生み出されたRPGツクールフリーゲームがあった。それは今も製作進行中、バビロンの塔やサグラダファミリアのように不完全なまま歴史を紡ぎ続けている。

 

violated heroine、略してVHゲームと呼ばれたそれを、フリゲー好きの私は当然プレイした。RPGとして見ればバグや未完成部分が多く、wikiを見なければプレイが難しかったものの、自分たちの作りたいものを作り、同じ感性のもとで興味を持ってくれたプレイヤーをとことん楽しませようとする雰囲気は、例え何度エラーを食らってゲームが落ちようと、プレイし続けるに足る素晴らしいものであった。このVPもまた、その流れを組む以上、フリゲーで人生を学んだ人間として手に取らなくてはなるまい。

 

…と、個人的な前置きは置いといて、久しぶりにプレイしたゲームが懐かし楽しかったので、グッドエンドに向けてプレイしたときの小技やテクニックを書いておく。まだ攻略サイトがそんなに発達してないので、CG回収でなくクリアという面では、ちょっとは役に立つかもと思い作成した。なお、ネタバレはなるべく避けるけど、そこは自己責任で。R18な用語は伏せているけど、察してほしい。なお筆者はプレイ時はver.1.0、パッチは0904のものを使った。

 

バトル大前提

・特に説明はされないものの、「本」を手に入れた場合、装備設定で「本」を装備すると能力が上がる。忘れがちなので注意。

ポーションなどのMP、HP回復アイテムは便利だが高価である。このゲームのストーリーは基本的に所持金量に依存するため、クリアを急ぐなら後述する回復方法を用いてなるべく出費を少なくしたほうが良い。

・溜め攻撃はしっかり溜める。中途半端に撃つとダメージ1なので、ちゃんとMPが1ずつ消費されている状態となってから放つのがおススメ。

・単発攻撃時にはシールドも発動している。忘れがちだけど、遠隔攻撃の多くははこれで防げるので、ボス戦などでは積極的に使おう。

・MOB狩りによるレベリングより、クエスト完了時の経験値による上昇値のほうが高いため、クエストをたくさんこなそう。

 

モンスター攻略

基本的な戦い方

1体1の場合、モブであれば、大抵は単発攻撃を連打することでひるみとのけ反りを与えられるので、隅っこや壁際まで追い詰めてながら、連打するだけである。下手に溜め攻撃をすると敵の反撃を許してしまう他、MP管理も必要となるので、慣れるまではこれが一番楽かもしれない。とはいえボスや一部エネミーは難しい部分もあるので、以下にコツを解説する。

ローパー(触手)

初めて敵が遠距離攻撃をしてくるので、戸惑ったプレイヤーも多いのではないか。しかし慌てることはない。今までのエネミー同様、1体1となる機会を狙ってなるべく正面を避けて近寄った後は単発攻撃を連打するだけである。すると連続攻撃の間は怯んでくれるので、触手といえど物理で殴るのが一番安全

オーク

攻撃があたると、こちら目掛けて近寄り、大ダメージの二段階攻撃を繰り出す。単発攻撃でもひるまないので、ここは素直に溜め攻撃を使おう。まず後ろに十分下がるスペースを確保してから、一回溜め攻撃を放つと同時にそのまま後ろへ逃げる。オークの王速度は攻撃モーションに入らない限り遅いので、後ろへ逃げて距離を稼ぎつつもう一度ゲージを溜める。そしてもう一発ダメージを与えるのがおススメ。溜め攻撃2,3回で倒せる。

悪い組織のボス

特殊技として、大ぶりな動作の後に爆発技を使ってくる。当たると大ダメージ。しかしこのボスなぜか、主人公との間に柱があると避けずに直進しようとする、つまり、柱の裏に隠れると近寄ってこないという致命的な行動をしてくる。そのため柱の裏から溜め攻撃、相手が大ぶりな動作をしたら後ろに下がる、を繰り返すだけで倒せる。

 

金策

ウェイトレス(給仕)

宿泊施設1階で行えるミニゲーム形式のバイト。客の下へ指定された料理を運ぶことで、一回の注文あたり10S、なれれば安定して100~120Sを獲得できる。一方で「汚れたから綺麗にしろ」という話に近づくと悪戯と共にゲージが挙がり、一定以上(大体1日で5回以上されると)溜まると処女クリアを目指すものとしては厳しいことが起きてしまうので注意。

この金策、注文をしばらく放置すると「遅い!」と客が怒る状態となる。この状態で話すと罰が入るほか一回につき報酬が-10Sされる。

だが逆に、「汚れたから~」を放置し、「遅い!」と表示され続けても制限時間一杯まで無視しても罰則はない。代わりに他の客からの注文が頻繁となる。これを利用して、カウンターから遠い席が「汚れたから~」と言い出したら無視し、カウンターから近い席のみの注文を取り続けることで、無駄な悪戯をおさえ、また移動を最小限にして金を稼ぐことができる。

 

無銭入浴(バグ)

風呂場に入る際、金を払わないで入ろうとすると「まだ金を払っていない」と表示される。しかしshiftを押した状態で暖簾を潜ると、この表示がされながらも金を払わず風呂場へ入ることができ、入浴による回復も済ますことができる。

更に金策的な意味では、この方法を用いると、風呂場でのイベント進行が無視される。むしろ進行により、後に風呂場が回復ポイントとして機能しなくなるため、無料でHP、MP回復をし続けるメリットを活かすなら無銭入浴はおススメである。

最初の宿泊先での借金

借金返済をちまちまとするより、ストーリー進行をまずは進めよう。

借金を返せば夜の労働義務がなくなるため、あるステータスの回数を抑えたい方にはおすすめ。一方で借金があるうちは夜の労働で金が手に入る(そしてキャンセルキーを連打すれば労働はすぐ終わる)ため、金策面でいえばすぐ返す必要はない。

 

その他

扉すり抜け

そこそこの頻度で起きる。主に扉付近で壁を通過してしまい、そのまますり抜け状態が維持される。これにより未実装または追加予定?の施設などを見ることが出来る。NPCと会話すると解除されるが、上手く使えばショートカットが行えるかもしれない。

 

謎の薬

・シナリオ進行後、城から南→森の道の手前左に進むと、洞窟の入り口前に謎の人物が立つようになる。話しかけると、妊娠に関わるアイテム2種を無限に獲得できる。

 

あとがき

長々と書いたが、いいたいことは一つ。

これRPGとして普通に面白いので、まずはなにもかんがえずに楽しもう。

 

 

 

 

映画『プラットフォーム』の雑メモ

 

アマプラで最近追加されたので視聴したスペイン映画の『プラットフォーム』(原題El hoyo)。

最近追加の欄にあったので、事前情報ゼロでみたけれど、cubeにも似たシチュエーション・ホラーだとは思わなかった。

 

それで、内容自体は単なるグロテスク重視とかではなく、メッセージ性が強かったので(日本ブロガーの多くはキリストの宗教性が強いと言ってるが)、今回は宗教がらみのメモを残そうと思う。もしかするとスペイン語のレビューや解説記事に書いてあることばかりかもしれないけど…

 

ここからネタバレ注意です。

 

……

 

 

 

大方の考察者が言っている通り、階層になった地獄、様々な道具を持った住人、数字など、パーツを集めて浮かび上がるのは宗教なものである。

 

・同居人の名前

主人公と関わる人物は主に4人。日本語では表記ゆれもあるけれど、。名前の由来をまとめてるサイトがある。(読めないので、日本語訳かけた)

'El hoyo' (Netflix): ¿Qué significan los nombres de los personajes?(「The Hole」(ネットフリックス):キャラクターの名前はどういう意味ですか?) - SensaCine.com

主人公はゴレン(Goreng)。由来はナシゴレンとかの・・料理名にもあるマレー語のゴレン(揚げ)。

 最初に出合う老人はトリマガシ(Trimagasi)。マレー語で「ありがとう」「感謝際」

 

 元職員の名前はイモギリ(Imoguiri)。ジャカルタの王室墓地。ペットのラムセス2世はエジプトのファラオであり、キリスト教では出エジプト記モーセが海を割って逃げた時のファラオと言われることもある。史実と神話なので真実性はあんまり参考にはならない。

 

 神に厚い黒人バハラト(Baharat)。中東などでスパイスの混合物を指す。

謎の女性ミハル(Miharu)。

 

 一方で宗教色強いことを考えるならば、他のニュアンスも考えられる。なにしろ、主人公の持ち込んだ本「ドン・キホーテ」は中世騎士に憧れる老人の話だ。だから登場人物の名前にそのミーニングが含まれていてもおかしくない。

 

 

・ゴレン

名前を聖人に合わせるなら、龍退治や殉教を行った伝説の聖ジョージ。

無人島に一つだけ持ち込めるなら……みたいな話の中、持ち込んだのは「ドン・キホーテ」(の、厚み的におそらく前編)。スペインを代表する小説なので無難なチョイスであり、主人公が武器、道具といった合理性や防衛手段ではなく、心の充実を求めた存在だと強調する存在。あるいは役に立ちにくいという甘さの存在、一巻読むころには出れるだろうという安易な気持ち、これから起こるだろう、ドン・キホーテのような錯乱と最終的な安堵の象徴でもある。

最初に手にしたリンゴ(禁断の果実)は、口につけなかったが……という暗喩。

 

面接のときにはこれでもかと煙草を吸う。地獄のような穴に入る理由が「煙草をやめたい」だというが、言葉と態度が合っていない。好きな食べ物は悩んだ挙句、エスカルゴ。カタツムリは罪の詰まった存在、つまり罪人のシンボルとされているらしい。トリマガシは散々自分たちをカタツムリに例えていたのも、その比喩だろう。

 

・イモギリ

25年も職員として働いたが、癌に侵され、自ら穴に入った女性。穴にペットを持ち込んだのはあまりに内部の状況と乖離しすぎる楽観さだが、不治の病なら仕方ないかもしれない。

内部では人々の連携を求めるが、理想と現実がかみ合わず、ペットを殺され、最後には200階までと知らされていた階すら202階まであると知らされ、命を絶ってしまう。その後はトリマガシと共に幻影となって、主人公にささやく。トリマガシが現実主義な悪人なら、彼女は理想主義の善人だろう。

 

・バハラト

共にパンナコッタという聖杯を上に届けようと戦う聖職者バハラトは、聖杯探索の騎士ガラハッド。持ち物が「大繩」なので、明らかにいざとなれば脱出する気満々で穴にやってきている。聖職者のようなふるまいをするが、パンナコッタを守ることに没頭しすぎるほど使命感が陶酔しやすい。6階という上位層にいながら「黒人かよ」と5階の人間に悪口を言われ、下層でも黒人奴隷的な暴言はかれたり、老人、女性ともに、この世で迫害される人間の一人として黒人が採用されたのかなと思った。

食事がテーマの今作だが、最後の晩餐にて主人公からリンゴ(禁断の果実)を投げられて受け取っているあたり、楽園追放の暗喩があるのだろう。

 

・ミハル

ミハルは常に主人公より上の階から現れ、悪を裁き、(おそらく)最下層の子供にまで食事を運ぼうとする様子から、大天使ミカエルかもしれない。ただし作中で一番殺人を犯しているため、罪の重さも人一倍だが、地獄の中で子供を助けるために人を殺すという、この世の不条理さの象徴でもある。

 

・トリマガシ

様々な役割を持たせたキャラで、一つには絞り込めないちょっと分からない。第一章の説明役であり、「サムライ・マックス」を買ったが「サムライ・プラス」なる商品が出たことで怒り、放り投げたテレビで不法滞在者を殺し反省しない老人。自分より上下の存在を屑とみなすほど差別意識をもつ一方、主人公に感謝をする憎めなさも持つ。

この先ゴレンの脳内に存在し続け、時に悪魔のようにささやき、時に心に寄り添う妄想となって現れる。この後、3人の同居人と出会うことにあるから、それぞれが神曲の地獄、煉獄、天国の案内人を兼ね備えてるともとれる。

口癖の「明らかだ(Obvio)」はネトフリがネタにするほど主人公との間で繰り返される。

Todos los "obvio" en El Hoyo - YouTube

 

・パンナコッタを守る二人

様々な料理がある中で、途中で出会う偉い人(ブランハン)が「パンナコッタを上に届けよ」と命令する。

なぜ偉い身分の人が穴にいるのか、空腹で狂わずに「礼儀が大事だ」といえる精神性を保ててるのか。

そこは問うべきというより、むしろ「旅の途中で出会った賢人」のような印象だった。名前はインドネシア料理の赤玉ねぎと同じらしいが、アブラハムと掛けているのかもしれない。見た目はアジア系で、パンナコッタを死守するという話だけ聞けば、そこは東南アジアの隠喩が入ってるともいえるだろう。

実際、ミハルや最後に登場する子供はアジア系であり、貧困で苦しむ地域の代表でもある。

 

・主人公と部屋の数字

最初の部屋は48.その次は171、

次にイモギリが200階まであるといったにもかかわらず、着いたのは202階。

その次は6階、最下層は333階。

 

333×2人組で、獣の数字である666人が何かしら背徳を以てこの穴にいる、というのは大体の考察者が言っている。(でも333階には子供が一人しかいなかったから、実際は665人じゃないか? などとは思いもする。)

大体数字系は、聖書の章を照らし合わせるものだし、実際作中でも聖書の一文が登場するので、探せば出てくるのかもしれない。

あるいは、例えば主人公のついた6階は、七つの大罪のうち6番目の「暴食」を表しているとも取れる。一方で上の男女カップルは5階にいるわけで、途中の喘ぎ声のシーンも鑑みて5番目の色欲を表しているともいえる。

 

・その他の住人

一方、下層に降りる中で様々な住人と出会う。

最初に交渉失敗して殴打されるアジア系の女性。

プールに仲良く2人入っている男2人組。ベッドから飛び降りて食べ物を拾う老婆。

前述の偉い立場の人。

下半身だけ残った太めの人、煙草と共に燃え尽きた人、様々な死体の繰り返される後半は、地獄の底のようだが、172や201でここが地獄だと思っていたのに更に底があり、

部屋割はランダムなので、主人公がそうなってたかもしれないという恐怖もある。

 

・回想

時々、主人公がここにくるまでの面接の階層と、映画序盤と中盤あたりにどこかしらのレストランでパンナコッタに対して何かを叫ぶ料理長のシーンがでてくる。

そこで、主人公の穴に来た目的の詳細や、シェフが何を言っているのかの詳細は分からない。けれど、パンナコッタが瓜二つだったりするので、おそらくは0層の生産者なのだろうと理解できる。

シェフ長みたいな人は、ささいなゴミで部下を叱る。元管理人は全200階に食べ物が行き渡ると信じてる。

主人公も入るまで、もっとまともな場所だと思っている。

穴の内部ではそんなミスが些細なほど、重篤な状況だというのに。だからこそ、途中で「上にメッセージを送る」という言葉が、「本当に上は穴の恐ろしい状態に気づいてない」という説得力につながる。

 

・結末

主人公は神曲のダンテのように、三人の同行者や、ミハル、ブランハンといった助けや助言を受けて、様々な層を旅し、最後に、0階へ至るために、自ら最下層へと堕ちる。

最下層333階では一番純粋無力な子供が、希望であるパンナコッタを差し出さなければ死ぬという状況である。

そこで、元の目的を捨て、子供を活かすことを望んだ主人公と、一度は子供を見て見ぬりしてまでパンナコッタを守ろうとしたバハラト。

そして、334階層ともいうべき一番下の、どこまでも何もない空間につく。

彼はそこで子供と共に上層へ行こうとしたが、トリマガシの亡霊が語り掛ける。

恐らくここで、自分は殺人も犯しこの地獄にいるべき存在と納得し、だから少女のみを上層へ送って満足気な表情を浮かべたのだろう。

 

 

などと、思ったことをズラズラとまとまりなく書いた。この先視聴する人はどんどん増えると思うけれど、その人の知識量だったり、なんなら海外の人や宗教で味方がガラリと変わるホラー作品じゃないだろうか。

 

 

 

引用の歴史 ~SNSから孔子まで~

引用の時代。

 

SNSインフルエンサーや、ファスト映画の逮捕事件を見ながらそんな言葉が思いついた。

 

 

冒頭

例えば海外からのコロナやウクライナの情報。

多くの情報が飛び交う中、現場で得た一次情報が、世界中で注目される。次に翻訳を載せた情報者や知識の補足者に目が行き、その翻訳を更に自己のTLにまとめたものが更に注目されている。メディアは情報精査し、朝刊やニュース番組でそれらをまとめるが、Twitter大国の日本ではそれより早くバズった呟きやニュースサイトの見出しが拡散される。そして、その流行りの話題に食いつく評論家(のような垢)。この川下りのような流れを毎日見ているけれど、情報自体は枝分かれの末に減っているのに、食いつく人は枝先の方が多かったりする。

現代はSNSの時代。その多くは利益を生み出しながらも基本無料で、故に引用しなくても良いとされるグレーゾーンがある。あるいは、リプライ機能は引用だけれど、リプライ元をURL含めて読んでいないので齟齬ができているものもある(無意識であっても意図の改ざんとなる)。けれど人は話題に乗っかる以上、引用はこれからも増えるし、話題になればなるほど、リプライ、リツイートされていく。

 

あるいは、この2022年数カ月、裁判所では引用か無断転載かで争われ、絵描きのトレパクに追従してトレースやオマージュの認識違いや知識不足で炎上する様子を見てきた。

これは著作権の発達した現代だからこそ起こる問題なのか。古代人が他者の言葉をまねて作られた名作の手法は、現代では許されなくなったものもある。また入賞した自由作文の参考文献ミス、パクリゲー、捕虜の顔を載せたサイトはジュネーブ条約違反かなど、引用者の価値観や文化のずれたことで、正しく引用されてない引用もまた常に流行りの話題に加わっている。

 

そこで今回は引用の歴史について、ぱっと思いつくものをあげてみた。

ただ、究極的には「この世に他者の影響を受けていない人間はいない」との極論で、全てが誰かの引用とみなす人もいる。(だがこれでは、引用について何も語れなくなるため、今回はざっくりと「引用とは、言葉や情報を編纂なく、自分の益のために用いること」くらいにしてほしい)。

 

そもそも、引用の起源は何か。

 

引用とは、日本の学問にいえば、主従関係 、出所明示、明瞭区別性が明確にして他者の文章などを使用することである。日常会話や多言語圏では意味が多少変わるだろうが、現代の大元の意味はこれなはず。

引用を著作権の問題として見るならば、現在国際的にそれを定めてるのは1886年に作られ現在まで改正されているベルヌ条約(Convention de Berne pour la protection des œuvres littéraires et artistiques)だろう。これは主に文学と美術作品に関するものなので、他にもいくつかの条約により我々の知る著作権は世界的に補償されている。

その著作権の概念は16世紀頃の西洋ぼ法律にも見られているが、大きな起源は18世紀のイギリスのアン女王法だともされる。これは書物のみの著作権だったが、80年後のフランスでより範囲の広がった法律も生まれた(同時に海賊行為との戦いも国際的に増すことになる)。

ではそれ以前に引用はなかったかというと、規制こそないものの引用に近いものは存在した。「○○によれば〜」というのは、自身の説明の補強だけでなく、様々な表現効果をもたらす。

同時に無断転載も引用とは切っては切れぬ関係なので、今回は2つまとめて並べてみたい。

 

①文学作品としての引用

世界最初の引用が何かは分からないが、古代から現代まで有名なものは紀元前5,6世紀の人物である孔子論語、遅くともBC400年ごろ製作されたというユダヤ人の聖書の文言だろう。

また、拝借という意味では古代ギリシアから世界の近代文学にも、構想の元ネタから丸被りまで幅広い層の作品が点在する。現代だって、小説の冒頭に誰かの名言を置く習慣がある。

分かりやすい例は、実物の失われた古代ギリシア文学などのうち、一部が他者の引用によってその存在や内容が確認できているということだろう。

また、プラトンが師匠ソクラテスとの対話を記したとされる「ソクラテスの弁明」も、もし彼の発言をそのまま記した箇所があるとすれば、引用だ。とすると、実際の人物と対話したものをまとめたという、ジャンルで言えば対話篇(ダイアローグ)という形のものにも多く引用が含まれてるといえる。

 

②絵画としての引用

絵画にしろ、同じ構造を借りているというのは絵画の歴史を知っていればよくあることと感じるだろう。そしてそれは時に際立って問題視される。

例えば狩野派が「粉本」とされる模範の絵を上手く写す技術により、発展しながらも同時に批判もされた。

西洋だと「美術史初の著作権裁判」こと1505年のデューラーの絵とマルカント二オの銅板模刻がある。

 

③音楽としての引用

音楽としての他者の曲を取り込んでいるのは、西洋古典と言われるものでも数多い。その場合、「編曲」というような言葉が使われることもある。つまり〇〇をアレンジした曲と、元の曲を示しているので引用の一つとも言えなくもない。一方で元の記述のない引用として有名なものは、ミシェル・コレットの「主をたたえよ」にヴィバルディの「春」が混じっている話など。また引用でないが、自分の曲を有名作曲者のものと偽る(偽作)も昔からあり、盗んだ作曲者か別の作曲家に偽られたりと、後世の研究対象となっている。

一方で録音技術によって、楽譜のみから「音」そのものを他者が使える時代となった。用語でいえばサンプリング。ヒップホップだと、1969年のザ・ウィンストンズの「Amen,Brother」から生まれたアーメン・ブレイクは世界一サンプリングされた曲と言われている。

 

現代だと、引用された曲といえば「カバー曲」「アレンジ曲」が分かりやすい。また、引用元を隠すというオマージュの概念も普及したから、曲の一部にファンなら分かる要素が入り込むこともある。あるバンドの記念ソングに人気曲の一部が入っていたり、歌手の追悼歌とかで目にする。音楽では構造上、引用元を記すことはタイトル以外ではできない(残りはホームページやカバー裏の補足説明となる)が、一方でファンが聴いただけであの曲や言葉を引用しているのだと分かれば、それは許容される。

また、平原綾香の「ジュピター」などが、著作権切れの楽曲なので引用元を示す必要はないものの、ベースはホルストの同名曲であると分かるから引用の一つといえそう。

一方で事件としては、ワン・レイニー・ナイト・イン・トーキョー事件が日本最初の編曲侵害例としてあがる。ほかにも、似た雰囲気の曲、同じコードやメロディーの曲はパクリと話題になるのは、知っての通り。オレンジレンジロコローションが、オリジナル曲からカバー曲と説明変更されたのも、引用問題の一つととれる。

 

④根拠としての引用

「〇〇にはXXとあるから、これを前提とする」みたいなもの、現代の意味に一番則する使い方の引用は、近代以降の科学の成り立ちにかかせない。研究の成果を発表し、それ元に新たな研究をするというサイクルは、どんな論文であれ最後の引用、参考文献をみれば明らかだ。

ただし科学は発見者に名誉が与えられるという構造となった結果、引用の反義語ともいえるべき、盗用問題の歴史も重なっている。

有名どころだと、ニュートン万有引力の法則が発表された「プリンキピア」に対するロバート・フックの剽窃問題、ワトソンとクリックのノーベル賞のきっかけとなったDNAの二重らせん構造に対するロザリンド・フランクリンなどの疑惑があったことは、この先も永遠に歴史にのこるだろう。ただ、ここを突き詰めると、論文発表の順番や認知度、また引用よりは科学の不正疑惑の方へ話がシフトしてしまい書ききれないので、一旦やめておく。

 

逆に科学でなくとも、自身の主張を通すには引用が欠かせない。「証言によれば」「法律の文言によれば」「聖典によれば」「子、いはく」というものは、きりがない。逆に、それが間違っていることを説明することにも引用は使われる、

Twitterのリプライ機能もまた、引用の一つだろう。

 

感想

と、長々と書いてみた。

考えをまとめているわけではなく、一気に書いたので、あとで編集するかもしれない。

または、根拠を示すために引用するかも。

 

ともかく、歴史としていくつかを並べてみたが、過去と比較して現代の引用はどうなのか。ネットでコピペしやすくなったから急速に増えたという意見はウィキにあった。著作権が発達していない時代と比べても、解釈が違うので意味がないという考えもあるだろう。

じゃあネットリテラシーを持って引用する際は気をつけましょう、だとあくまで主観的な自戒のみで、実際に自分が引用していることに気づかないケースもある。更に無断転載だと指摘されたとたん、無知が罪となる。

また、引用は論文であれば形式があり、査読もある。一方で、ネットの場合必ずしも決まりがないため、学術論文であればアウトだが、利用者には許容されているグレーなゾーンも存在する。またネット収益の導入により、無断転載でなく引用であることを明確に示さなくてはならない機会が増えてきた。

 

改めて、人の言葉や作品を借りるとは何かを、考え直す岐路なのではないか。

 

(蛇足:というか、ネットで偉人の名言と出回ってる言葉、調べてもどこが出典か分からなくて容易に使えないんだけど……外人の言葉なのに日本語訳だけ載せてるやつも、それで引用した気にならないでほしい……)

 

「井戸に毒を入れた」歴史

 

 

 

「異人が井戸に毒を入れた」というデマ。災害時のデマというと、ローマ大火に、ペストでのユダヤ人、太平洋戦争中の日系アメリカ人に震災の外国人など、形を変えながら地味に2000年以上の歴史がある。とは言っても、「井戸に毒を入れる」はどのくらい信憑性があるのか。ちょっと歴史を振り返り、真実かどうか不明なものは逸話を含めて並べてみる。

 

・紀元前 インド

サンスクリット語の詩に 「Jalm visravayet sarmavamavisravyam cadusayet (井戸には毒が流され、汚された)」という詩行。

 

紀元前3世紀 

 地中海のティルスアレキサンダー大王が、ペストで死亡した兵士たちの着衣を飲水用泉に投げ入れ、敵兵数千名が感染して死亡。

 

紀元前4-2世紀

・インドのマウリヤ朝建国の祖であるカウティリヤ。彼の著書「実理論」では暗殺としての毒の使用法が記載されている。実際に反逆者を毒殺したらしい。井戸についてあるかは、原文を所持してないので不明。

 

・14世紀 ヨーロッパ

 ペスト大流行の際に、ユダヤ人迫害が発生。

ユダヤ人が井戸に毒を投げ込んだ」

ので死亡した、というデマである。これはペストに対するスケープゴートとされ、以後、反ユダヤ主義として、ユダヤ人には血の中傷といった様々なデマが付きまとうことに。世界でも有名な井戸デマ。

 

・15世紀 ワラキア

「串刺し公」「吸血鬼の元ネタ」などで有名なヴラドⅢ世。オスマン軍の進撃を抑え入れるため、ドナウ川両岸の井戸に毒を入れる。

反対にイスラム教では、コーランにより戦闘中でも水源に毒を入れることは禁止されていた。

 

第一次世界大戦

ドイツ軍はアルベリヒ作戦の一環としてフランスの井戸に毒を入れたという。イギリスのプロパガンダという話もある。

 

第二次世界大戦

ソビエト連邦フィンランド侵攻、通称「冬戦争」。フィンランド側は毒として動物の死骸や糞を井戸に入れた。

 

・1928年

日本で関東大震災の直後「朝鮮人が井戸に毒を投げ込んだ」というデマ。 

 

・1953年 

ソビエト連邦スターリン反ユダヤ主義としてユダヤ人などを同様のデマ、ねつ造の元で逮捕、有罪にした。英語ではDocto's plot (医師団陰謀事件)とされる。

 

・1995年

ボスニアにて、民族問題の中でセルビア人が井戸に毒を入れたと告発される。「スレブレニツァの虐殺」のジェノサイドでも行われた。

 

・1980~1990年代

アラブの民族主義者やイスラム原理主義者のプロパガンダで、再びユダヤ人のデマが登場。

 

・2004年

イスラエルで入植者が腐った鶏などを貯水池に入れているとNGOが非難。アラブの内紛が背景にあるとされる。

 

・2011年

 東日本大震災により「朝鮮人が~」という同様のデマ。SNSチェーンメールでの情報拡散が見られた。

 

 ・2016年

ブリュッセル欧州議会で、パレスチナ自治政府議長兼PLO議長が、ラビ(ユダヤ教指導者)が井戸に毒を入れている」と扇動。虚偽のメディア報道とされ、EUが否定。

 

 

 ・・・

 

 というわけで、「井戸に毒」デマは海外では特に対ユダヤ系でテンプレであった。また、実際に井戸に毒を入れる作戦は、軍として大規模に行われたっぽいので、デマの示す多くて数十人の作戦とは異なるといって良い。あと、今回は日本語と英語使って調べたけれど、他言語でみればその言語圏にある反民族が出るかも知れない。

 

 それでも何故デマが言われ続けるのかというと、そもそも「毒」とデマは相性が良いからではと思う。科学や薬学に精通しない人からみれば、毒は未知であるがゆえに曖昧な概念で、様々な想像により効果や致死量があるのだと思えてしまう。無色透明で、口に含んだ直後に嘔吐、そのまま死亡なんてパターンは現代の推理ドラマのテンプレだけど、その成分が何かは説明されないし。

 勿論、感染症の研究が発展してなかった時代は、毒と感染症を一緒に考えていたとも考えられる。移住者の持ち込んだ疫病で大勢の死亡するのは、赤壁の戦いに参加した医師である張機(ちょうき)の「傷寒論」や、大航海時代のヨーロッパみたいな例もある。今だって感染者が他の土地に移動したことで、感染が増えたりもするので、毒を根拠に異人を排他する防衛本能が存在するのかもしれない。

 なので時代に関係なく、ヒトは毒と言われれば、よく分からないけれど、何かヒトを殺すことに関しては万能の効果があるという偏見を生来持っているのではないか。

 

 あと井戸に関しても、日本のテレビ番組がやりなげしたせいで井戸を巡って対立が起きたり、死体処理場になってるので、生活の源であると同時に、穴という深淵に危険があるかもという恐怖が混ざるのかも、と浅はかに考えてみた。

 

参考サイト

後日、まとめて記載。

「マラーの死」と絵画から振り返るシャルロット・コルデー・コルデー

[:マラーの死とは]

 

 

 

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https://artsandculture.google.com/asset/marat-assassinated/7QGjl9R141MCBw?hl=ja

 

1793年、ジャック=ルイ・ダヴィッド作「マラーの死」(La Mort de Marat )。フランス革命の指導者マラーの死を描いた、歴史の教科書に載るような名作。作者は友人で、ウマに乗ったナポレオンの絵が有名。 

 

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「サン=ベルナール峠を越えるボナパルト」(1801-05)と「ソクラテスの死」(1787)

 


皮膚病の治療のため硫黄風呂へ入っていたマラーはシャルロット・コルデーにより刺殺。画面に暗殺者は映っていないが、ロベスピエールの左手にはコルデーの署名入りの手紙が握られている。

暗殺直後の場面を描いたこの絵画はフランス革命が恐怖政治を迎え、後に革命の指導者ロベスピエール自身が処刑されたことにより一時期歴史の影に消えたが、ナポレオンの台頭で再発見された。

 

 

[:シャルロット・コルデーという人物]

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フランス革命の話はおいておき、まずは当の暗殺者コルデーについて。コルデーはあまりに手際の良いな暗殺犯でありながら、貴族出身で美しい美貌と声を持つ修道女。物静かで逃げもせず、裁判にも毅然と望んだ。その最期は、サンソンによるギロチン処刑だった。暗殺当日にオシャレ帽を被っていた逸話がある。

この暗殺が世界の為になると信じ込んでいたらしく、裁判では「10万人の人々を救うため、1人を殺した」と証言。
他に、処刑前にコルデーは自分の肖像画を描いてもらうよう注文(画像左)。

 

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また、処刑場で赤いシャツイに髪を切っ姿で登壇。青年たちはファンとなり、彼女を追って死ぬ人もいた。 

サンソンもまた回想録で以下のように記している。

「彼女を見つめれば見つめるほどいっそう強く惹きつけられた。それは、たしかに彼女は美しかったが、その美しさのせいではなく、最後の最後までなぜあのように愛らしく毅然としていられるのか信じられなかったからであった。」

 

処刑前に手首を縛るのだが、キツく縛られるのを恐れたコルデー。
当日に手袋をしてきた彼女に対して、サンソンは「私ならばやさしく縛るから心配はいりませんよ」と言ったとも。
彼女が主役の映画もあるし、フランス村の方もハマると思う。

 

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アンドレア・シェニエ」というフランス革命オペラも凄いよ

 

参考サイト

マラーを殺した女 シャルロット・コルデー | やまとなでしこめざします

 

暗殺の天使シャルロット・コルデー なぜ絶世の美女は凶行に走ったのか? - BUSHOO!JAPAN(武将ジャパン)

 

 

ACオデッセイの登場人物解説1~数学者Pと哲学神E~

 「アサシンクリード オデッセイ」とは、紀元前430年のギリシアを舞台としたRPG。買ってプレイすること一週間。多分、現状で一番当時の世界観や地理を繁栄したゲームだと思う。もちろん、ゲームの都合上の変更や、そもそも暗殺ゲームなので敵味方問わずドンドン殺されるあたりは仕方ないけれど。

 そして今回紹介するポイントは、ゲームに登場する史実の人物たち。

 その中でも特に、ヘロドトスやレオニダスほど知られてないかもしれないが、有名な人物に焦点を当てたい。ゲームだけみると誤解したり、よく分からないまま退場する人も居るけど、それを見ていた自分は結構ツッコミや解説を入れたかったんで、紹介しようと思う。とは言っても、全部は難しいので今日は二人。

 

(一応、ネタバレ注意)

 

 

ピタゴラス

 

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神秘主義の哲学者。

そこそこ重要な場面で登場するが、知識がないと「三平方!! 三平方の人が何で!?」と叫ばれるだろう数学者。一般教養では中学で「三平方の定理の発案者」の一行くらいしか乗ってないと思われる。しかしその生涯は謎に包まれている。

ピタゴラスは紀元前580年(ゲームの年から130年前)に生まれたとされる。

当時の世界に存在した数学の知識をかき集めるべく、古代オリエントを旅したとか。やがて「数」を万物に結びつけ、全宇宙の法則は数で表せるという「万物は数である」理論を主張するように。

やがて彼は40歳頃、数学を崇拝する秘密組織「ピタゴラス教団」を創立。

生活から教育に関するまでの細かなルールを作り、外部に情報を漏らせば死刑という厳しい掟の中で、メンバーは天文学、数学、音楽(音程や調律を数学に絡めて)を研究した。地球は球で動いているとか、衛星の円運動に気付くといった科学的な面もあれば、10という数を崇拝したり、数字に哲学的な意味を持たせるといった宗教的な面もあった。

ピタゴラス教団はかなり大規模な集団だったそうで、政治的な権威も持ち、それが原因で対立派閥に襲撃され、ピタゴラス自身も殺害されたという。

密教団ということで、今なおその全貌は分からないが、弟子とかが漏らした情報が後世に伝わっている。

アサシンクリード」シリーズとしては、謎の知識人という立場が登場させやすかったのだろう。ちなみに、「哲学者」という言葉は彼が考案したとされる。

 

・エンペドクレス

 

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自然哲学者。

ゲームだと「私は神だ」と言いながら走り回り、怪物に叩き潰された変人。

史実では豊富な知識と高度な頭脳を持って行ったとされ、不正な政治家を裁判で有罪にしたり、疫病から街を救ったという逸話が残る。オリンピアの競馬で優勝したとも言われている。

哲学者としては、元素説(物質には変化することのない最小単位がある)や引力を唱えたり、「耳の奥の骨が空気の振動で打たれるから、音が聞こえる」といった感覚の考察をした。ピタゴラス学派に所属したとされ、後世のアリストテレスといった哲学者にも影響を与えた。

なんか一見普通の哲学者っぽく思えるが、彼は途中から「私は神だ」と主張し始めたらしい(細かい理屈は知らないが)。そして自身が神であることの証明に、エトナ火山の火口にサンダルを脱いで揃えると、ダイビング自殺をしたそうな。

この伝説のインパクトが強すぎるせいか、今作では随分とやばい人に変化してしまったが、史実では当時の天才の一人だった。

因みに、彼の死んだ場所はエトナ火山とされるが、ゲーム上ではエトナ火山というフィールドは存在しない。代わりにティスヴィ島という名前の場所で彼はキュクロープスに襲われる。その巨人プロンテス(=雷鳴、の意味)は三兄弟の一人。強大共に鍛冶の神ヘパイストスに仕え、ゼウスの雷霆やポセイドンの三叉を作ったとされる。そんな彼等の作業場こそ、エトナ火山なのである(火山の煙は彼が仕事をしているため)。

分かる人には分かる組み合わせだが、流石にエンペドクレスがここまでアッサリ死ぬのは悲しかった。

 

とまあ、今回はこの辺で。

自分の知識整理もあるので、連載は続くと思う。多分。

新宿ハロウィンから古代ケルトについて

ハロウィンから数日経ち、なんで今更ハロウィンについて書いているのか。まあ連日、新宿での騒動はあるせいで、ハロウィンが終わったという実感がないせいでもある。
 
もしこの記事にハロウィンの雑学を期待し、来年にでも周囲にひけらかそうと思うなら、他のサイトを参考にしたほうがいい。
それでも折角このブログを見てくれたのだから、全ての真偽を確かめてはいないが、ハロウィンの雑学が100個乗った記事を紹介しておく。これでハロウィン雑学王になれるとは思う。
 

ハロウィンのこと、正しく理解していますか

知ればきっとタメになる蘊蓄100章-東洋経済

 
(前文、飛ばして結構)
 

既に五日前のことながら、未だに取り上げられる新宿ハロウィン。毎年翌朝の街にゴミが散乱し、今年は軽トラをひっくり返したこともあり、テレビでは主に、ハロウィンで騒ぐ群衆の危険性について語られている。


しかし街や駅としては迷惑だが、別に参加者全員が迷惑をかけたわけでもなく、翌朝の掃除ボランティアに参加する人もいる。一部の人が目立つせいで全体のイメージが悪くみえるのは、少し前までの「オタク」、規模を広げればイスラム教と同じ様相である。
 
同じ文化や趣味を持とうとも、分別のある人とない人は存在する。だからイデオロギーを標的にその集団全体を叩いてしまうと、それは罪なき人も巻き込んだ差別に直結する。
 
勿論、外から見れば一様な人々の中で、誰が犯罪に関わるかなんてわからないわけで、だからこそ犯罪があれば連帯責任として、その祭全体に規制をかけるしかない。
 
新宿ハロウィンという発展途上の文化とマイナスイメージの規制。この折り合いが「オタク」のように落ち着くまで、今少しかかりそうである。
 
(前文終了)
 
さて、昨日深夜にとあるテレビ番組を見ると、新宿のハロウィン騒動に対してアナウンサーがうろ覚えながらこんあコメントをしていた。
 
「ハロウィンって元々、お化けを追い払うお祭りでしょ?」
 
そしてハロウィンで騒ぐことについて批判的なコメントを続ける。ほかの人はウンウンと同調していたが、ちょっと待ってほしい。
 
ハロウィンが? お化け追い払う?
 
私が聞いた話だと、ハロウィンはアイルランドのお盆。冥界の門が開いて先祖や幽霊がこの世に現れるので、襲われないようお化けになりきる、という話。お化けを追い払うなら、むしろ十字架とか聖書とか持ち歩くべきでは?
 
そういえばネットでも、ハロウィンは古代ケルトの風習とか、仮装はお化けにするのが正しいとか、情報源不明のままハロウィンの情報が流布している。酷いものだと、トリックオアトリートのトリートが英語で「お菓子」という意味だとか言っていた。それは意訳しすぎだろ。
 
ハロウィン自体は世界に広まり、その定義も過ごし方もバラバラである。国全体で騒ぐところ、お盆のように墓参りするところ、そもそもイベントが浸透していないところ…などなど。
 
けれど「ハロウィンは元々〜」と主張するのは、世界中に広まったハロウィンが共通の起源を持っていると思っているからである。
 
というわけで、軽くハロウィンの起源についてネットに乗ってる記事を整理して、一つ一つ見ていった。とりあえず「ハロウィン 雑学」で検索をかけ、一番上にヒットしたまとめサイトをみて抜粋する。
 
実はよく知らないハロウィンの雑学「そもそもなんのイベント?」
 
古代ケルト民族は、1年の終わりを10月31日と定め、その夜を死者の祭としました。
 
この夜は死者の霊が家族を訪ねたり、精霊や魔女が出てくると信じられていた。これらから身を守るために仮面を被り、魔除けの焚き火を焚いていた。
 
今回は、この話について考察していく。
 
まず、古代ケルトについて。ケルトとは古代ギリシアより西ヨーロッパに住んでた人々の総称。彼らは文字を持たず記録が残りにくかったため、今でも謎の多い民族集団である。後にローマに土地を征服され、紀元1世紀頃まで存在されていたそうだが、ケルト文化字体は衰退して消えていった。
 
後に、中世ごろに民族主義が流行って「ケルト民族」を自称する集団が現れる。文化は古代ケルトと繋がっておらず、近年では遺伝子調査から、全くの別物とされている。
 
この時点で、ハロウィンが古代ケルトと関係がないと思われるが、調べるとハロウィンの元には「サウィン祭」があるというサイトが多い。だが、厳密にいうと少し違う。調べるとこんなブログがあった。
 
意外と知らないハロウィンの起源と由来。古代ケルトのサウィン祭に迫る
 
その中でも特に大きな影響を与えているとされるお祭りは次の4つ。

さらにこの中でも最も古く、ハロウィンの始まりとされているのが古代ケルトのサウィン祭です。

キリスト教が普及される中世、土着の宗教は悪魔崇拝とされて淘汰されていく。そして地元の祭りは擦り合わせの結果、キリスト教に沿ったイベントとして変化する。また歴史を経て、複数の祭りが統合されることも珍しくない。だが待ってほしい。上記のサイトが正しいとすると、果たして本当にケルトがハロウィンの起源だと言えるのか。

一つ目に、四つの祭りが混ざっているのに、たった一つの祭りだけを起源として声高々に言うべきか。二つ目に古代ケルトの文化は廃れており、古代のサウィン祭自体の概要が残ってない。故に2000年前の要素がハロウィンに残っているかが分からないのである。

また現在日本で行われる仮装やトリックオアトリートといった文化は、企業などのキャンペーンにより19世紀アメリカで誕生したとされている。つまりハロウィンの祭りに関して、古代ケルトは名前だけが伝わっているだけで俗説の可能性が高い。

因みに中世からケルトを名乗った人々によるハロウィン。これは既にキリスト教と混ざった祭りである。ハロウィンという名前も「hallow eve(万霊節の前日)」から来ている。また、今と形態が違うだろうが、「ジャックオランタン」や、聖職者が家々を回ってケーキを貰い、ケーキを渡さない家は呪われるなどという現代との類似点がみられる。

あと古代ケルトは廃れたといったが、征服したローマやギリシア側の記録(例えばカエサルガリア戦記)よって神話などは残っている。クーフーリンで有名なアルスター伝説とか、ドルイドという呪い師の存在とかも、キリスト側の資料に残っている。

ただし、キリスト教から見ればケルトは異端の悪魔宗教。またキリストの生まれる紀元前でも、ローマから見れば西にいる未開の地の蛮族である。故に偏見や忌避感も混ざっている。他のサイトで「サウィン祭とは、こんな祭りです」と言って、悪魔的な儀式とか人頭を神に捧げる話とかあったら、そういった資料が元となっているかもしれない。

また中世アイルランドは8世紀にバイキングが侵入し、それまでの歴史的資料が紛失したという歴史もある。ゆえにハロウィンの話が真実かもしれないが、若干のファンタジー、後世の誇張が入っている可能性も忘れずに見るべきである。

というわけで、長々とハロウィンとケルトに関係について書いた。まとめると

・ハロウィンは中世アイルランドで幾つもの祭りが纏まって、今に通じる原型ができた

・ハロウィンと古代ケルトの関係は薄い

・元とされるサウィン祭について資料は殆どなく、俗説や誇張があると考えるべき

・現在のハロウィンは、他のお祭りやアメリカの企業による影響が大きい

といった感じだろうか。完全なる自己満足の文章だが、まとめてみると、まだ資料や根拠が不安定なところもある。とはいえハロウィンが終わってからこんなに調べても余り意味を成さずに虚しくなったのでここらで完結とする。

それに、まだまだハロウィンが終わっていないのだから……(ゲームの周回の話)