今日から繋げる古代風景

日々の出来事を無理やり歴史に紐付ける人

「マラーの死」と絵画から振り返るシャルロット・コルデー・コルデー

[:マラーの死とは]

 

 

 

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https://artsandculture.google.com/asset/marat-assassinated/7QGjl9R141MCBw?hl=ja

 

1793年、ジャック=ルイ・ダヴィッド作「マラーの死」(La Mort de Marat )。フランス革命の指導者マラーの死を描いた、歴史の教科書に載るような名作。作者は友人で、ウマに乗ったナポレオンの絵が有名。 

 

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「サン=ベルナール峠を越えるボナパルト」(1801-05)と「ソクラテスの死」(1787)

 


皮膚病の治療のため硫黄風呂へ入っていたマラーはシャルロット・コルデーにより刺殺。画面に暗殺者は映っていないが、ロベスピエールの左手にはコルデーの署名入りの手紙が握られている。

暗殺直後の場面を描いたこの絵画はフランス革命が恐怖政治を迎え、後に革命の指導者ロベスピエール自身が処刑されたことにより一時期歴史の影に消えたが、ナポレオンの台頭で再発見された。

 

 

[:シャルロット・コルデーという人物]

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フランス革命の話はおいておき、まずは当の暗殺者コルデーについて。コルデーはあまりに手際の良いな暗殺犯でありながら、貴族出身で美しい美貌と声を持つ修道女。物静かで逃げもせず、裁判にも毅然と望んだ。その最期は、サンソンによるギロチン処刑だった。暗殺当日にオシャレ帽を被っていた逸話がある。

この暗殺が世界の為になると信じ込んでいたらしく、裁判では「10万人の人々を救うため、1人を殺した」と証言。
他に、処刑前にコルデーは自分の肖像画を描いてもらうよう注文(画像左)。

 

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また、処刑場で赤いシャツイに髪を切っ姿で登壇。青年たちはファンとなり、彼女を追って死ぬ人もいた。 

サンソンもまた回想録で以下のように記している。

「彼女を見つめれば見つめるほどいっそう強く惹きつけられた。それは、たしかに彼女は美しかったが、その美しさのせいではなく、最後の最後までなぜあのように愛らしく毅然としていられるのか信じられなかったからであった。」

 

処刑前に手首を縛るのだが、キツく縛られるのを恐れたコルデー。
当日に手袋をしてきた彼女に対して、サンソンは「私ならばやさしく縛るから心配はいりませんよ」と言ったとも。
彼女が主役の映画もあるし、フランス村の方もハマると思う。

 

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アンドレア・シェニエ」というフランス革命オペラも凄いよ

 

参考サイト

マラーを殺した女 シャルロット・コルデー | やまとなでしこめざします

 

暗殺の天使シャルロット・コルデー なぜ絶世の美女は凶行に走ったのか? - BUSHOO!JAPAN(武将ジャパン)